009-009

エスゾピクロンの散歩

孤独について

というか往々にしてぼっちである為、今更孤独について話すのもおかしい感じがする。私はそこそこ孤独である。この孤独とはあくまで状況のことであり、感覚のことではない。

 

009です/(^o^)\デイダラボッチとは何の関係もございません。

 

一人で居ることに慣れすぎて、他人が居ると逆に落ち着かないよね。分かる人だけ分かってください。一時的にヒト依存症になって、毎晩遊び歩いた。ヒトを求めていた。誰でもいいから側にいてほしいときがあった。その反動だか何なのか分からないけれど、今はめっきりヒトがだめだ。特別親しい人と、たまに会うくらいが精一杯だ。精神科の先生に"社交不安障害"(人と関わるの激無理病)という変な病名?を付けられた。でも日常生活に支障はない。私は案外、義務は義務として割り切れるタイプのようだ。

早い話独りが好きだ。つまり、このところ孤独感を募らせる機会が無い。寂しいって気持ちが清々しいに変換される脳味噌に変身を遂げたのだと思う。

それは良いとして、いつからそんな感じなの?と自問したところ「わりと最近?ここ数年?」という曖昧なアンサーを得た為、自分の変化について考えてみた。暇なので。

 

結論から言えば自分を気に入って、受け入れ始めたのがここ数年だったんだよね。若いとき(?)って抗えないしがらみ的なものがたくさんあって、ときには自分の意に反した言動を取って誤魔化し誤魔化し生きなければならなかった気がする。立場上、自分の正しいと思うことをできなかったこと、してはならなかったことがたくさんあった。

誰にでもあることだろうけど、私はそれを極端に窮屈に感じていた。違うでしょ?と思うことをさせられているとき、言わされているとき、死んでいる気がした。いや、それはちょっと極端過ぎるな。生きている気がしなかった。自分の意思を抑えつけられているとき、自分の人生を生きている気がしなかった。要は自分のことがどうしても好きになれなかった。自分じゃないから。

 

 学校を卒業して社会に出てまもなく実家を追い出され、私は初めてすべてのしがらみから解放された。これからは自分で自分の生きる社会を選んで良いし、自分の正しいと思う言葉を、行動を選択しても誰の迷惑にもならない。私が私として生きる生活が始まったのだ。

 

今は自分のことが結構好きだ。外見も中身もまあまあ好きだ。だから独りでも孤独じゃない。

本当の孤独は、自分に嫌われることだと思う。自分が嫌い→でも認めてほしい→他人に承認を求める→他人無しでは自分を肯定できない→そんな自分をまた嫌いになる悪循環。自己肯定できないと、どうしても他人に依存しがちになる。

自分さえ味方につけておけば、他人に求めることはなくなり…必然的にぼっちになる。アレ?別にぼっちを勧めているわけではない。そんなつもりではなかったんだ。

 

ただ、好きな自分で居ることで、孤独感って拭われるものだと思うんだ。そういう話がしたかったんだ。

 

私のことを自己中って言った人は、みんな私が自分の思い通りにならないのが気に入らなかっただけなんだと思う。でもこの1分1秒でさえもすべて私のものだから、誰の言うことも聞いちゃいけないの。これは私のルールだから。じゃ、さよなら。