009-009

エスゾピクロンの散歩

5年2組はこの柵です。人数分の鮎が泳いでいます。1人1匹ずつ。1人1匹ずつ捕まえて先生のところへ持ってきてください。

 

日に照らされて光る鮎の背中をぼんやり眺めていた。必死で逃げ惑うもむなしく鷲掴みにされ空に晒された人数分の鮎たちは、乱雑に塩をまぶされ生きたまま焼網に乗せられた。活き良く跳ねていた尾ビレもしだいに動かなくなり、瞳は白色に枯れていった。私の鮎もしかり。私のせいで世を去ることになった鮎の最後をじっと見届けた。痛かっただろうか。寂しかっただろうか。私を恨んだだろうか。

数年経って人に話してもそんなことあったっけなんて皆の返事はわりとのんびりしたものだった。目の前で死んでいく鮎になど目もくれずふざけ合うクラスメイトたちの、子供ならではの(たぶん)残酷性には同い年ながらぞっとしたものである。

死んだばかりの鮎の身は、みずみずしくふっくらとして美味しかった。

 

命を頂きながら私たちは生きているのですとそういうテンプレがあるかのように淡々と先生は語る。三角座りでひそひそ笑い合う生徒の耳にその言葉は届かない。さっきまで泳いでいた鮎たちは頭と尻尾と骨だけになって纏めてLサイズのポリ袋の中。だけれど気にしないのである、それが当然であるかのように誰もそんなことには関心を持たないのである。まるで空気や水が当たり前にそこにあるかのように鮎の命だって奪われて当然なのである。

 

焼網から私を見上げる鮎の大きな瞳を忘れられず眠れない日がたまにある。痛かっただろうか。寂しかっただろうか。もしくは今も私を恨んでいるだろうか。