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エスゾピクロンの散歩

たかが世界の終わり

たかが世界の終わり それは映画のタイトルでございまして私の人生はどうやらこれからも続いていくようです。遺伝のことを考慮してもざっとあと60年は生きてしまうことでしょう。内臓の強い家系ですのでそう簡単にはポックリ逝かなさそうなのです。それが残念なことか良いことなのかはその日が来るまで分かりませんが、いつか来るその日に怯えながら、また、待ち侘びながら今はただ、自分を生かすのみです。

たかが世界の終わり それは映画のタイトルでございます。こんなタイトル、気にならない人いる?たかが世界の終わり なんでそんなこと言うの?気になるでしょう。私、気になります。

つい先日(と言ってももう1ヶ月以上経ったか経ってないか分からない。大人になると、時間の感覚がどんどんズレていくものだと、そう思わない?)取扱いがスタートしたようなので早速ツタヤさんでレンタル。帰宅即DVD。観た日は正直、拍子抜けだな〜っとガッカリしたんだよね。タイトルのインパクトがあまりにもディープでしたわ、私には。だからこう、タイトルと内容のギャップが。

私は世界を大きく捉えていた節があったね。なんなら宇宙が消えて失くなる日、あなたは何を思う…!的なゴッツいスケール期待してたわ。けどこの映画の「世界」って「自分ひとりの人生」という意味だったんだよね。まあ言われてみりゃそれも世界だわなと納得するほかなし。想像力が足りてませんでした。つまるところ、つまらなかった。映画を観たあの日は。

だって変なんだよ。ここから先はちょっとネタバレするけどいいかな。いいよね。余命宣告された主人公が、長いあいだ接触を避けていた家族にそのことを伝える為、嫌々ながらも義務としてというか義理があるから、実家に向かうのね。で話を持ち出そうとするんだ。でも家族みんなにも一人ひとりの悩みや大きな不安があって、みんながその悩みや不安を先に主人公にぶつけてくるの。詰め寄ってくんのよ。なんとかしてよ、あなたならなんとかしてくれるでしょ?!とね。他の家族同士もどうやら仲が悪そうで、改めて話を切り出せる雰囲気でもなし…あーもーどうすりゃええっちゅうねん!たかが自分の死なんて、世界(自分の人生の登場人物)にとっては何でもないことなんですね、ハイOK!って主人公が悟っちゃいましたとさ。ただそれだけの話なんだ。なんなんだ…結局まだ世界終わってないけど話終わっちまったし、ちょっと、なんなのぉ…真面目にやってよぉ…。と思ってたんだよね。

しかしね、後々思い起こしてみるとあれは本当、ごく当たり前の、ただの現実をそりゃもう忠実に、痛々しいほどリアルに再現した、凍りつきそうに冷たいお話だったって最近気付いたんだよ。

普通さ、物語なんだから、主人公が滅多に訪れない実家にわざわざ足運ぶってことは、何かあったな…と家族の方も身構えて話を聞いてあげるモードに突入しても良くない?今までの映画だってそんな感じだったじゃん。でもあれは理想だったんだって。物語だからうまいように話がトントン進んでいくんだって。現実は…実際は、みんな自分一人が安心して生きていくために必死で、自分が見ている人・もの・景色だけが世界のすべて。そんな人同士が何人集まってもみんなが主人公一人のために建設的な話し合いをしてあげられると思う?無理無理。ないよね。みんな余裕がないもの。心も、お金も。場合によっちゃ身体もズタボロ。お前の事情なんか知るか!そんな人ばっかりだもの。そんなリアルをよく表した映画だったなと、今は感心させられる。まあ、つまらないことに変わりはないのだけどね。

誰と話しててもみんな自分の話ばっかりで、それを感情移入しながら真面目に聴き込む癖があるから何もしてないのになぜか私がへとへとになって、そんなときに、たかが世界の終わりに似通う何かを自分の生活の中に見つけて、ひしひしとあの作品の再現レベルの高さを思い知るのです。

 

いっぱいいっぱいで自分の為にしか生きられないことってある。本当は誰々にも何何してあげたいのに、それができなくなってしまうことってある。私も脆いから、そんなときは発熱して身体のどっかがだんだんバグって、大笑いしてたと思ったら、よう分からんビルとビルの隙間に入り込んでグズグズに泣いたり、吐いたり、ときどきは高いビルの屋上から下を見下ろして、想像してみたりする。頭がバグりすぎて、人を殺さなければ!という衝動に駆られ続けていたこともある。またすぐキャパオーバーしてバグってしまうだろうけど、今はなんとか自分の為に働いて、とりあえずの生活も回してて。全然余裕じゃないけど大切な人の心だけは尊重できる。その人の為なら一時的に理性的にもなれる。みんながこうして少しずつ黙り合って、我慢して、トリガー引く手を弛めることで成り立つ話し合いってあるんじゃないかな。これまでも、たくさんあったんじゃないかなって。

ここで私がひとりでワイワイ言って、今変わるのはとりあえず私だけだけど。ぶつかり合い続けていくのではなく、お互いの痛みを分かり合って、まずは痛い部分を撫でてあげること。遠回しで、無関係なことのように見えて、結局一番の解決への近道になるんじゃないかなってね。発見があり、希望が生まれましたの報告です。🐎