009-009

エスゾピクロンの散歩

ネオ現実

睡眠薬を飲んで映画を観ていると、途中で自分の夢と映画のセリフが入り交じって、ネオ現実って感じの新しい街が完成する。

昨日観ながら寝落ちたイラン映画で覚えているのは「この部屋寒いわね、踊りましょ!」と言ってみんなでワイワイ踊るシーンだけだった。夢と現実の交差する街の真ん中で(その発想はなかった)と何の捻りもない感想を抱いたのち、夢の中に引き摺り込まれたのでした。

なぜなぜ私はこんなに暗い。寒ければ踊れば良かったのに。009です\(^o^)/

これから続きを観る。ちなみに邦題は「彼女が消えた浜辺」。ミステリーだ。踊っている場合か?

 

予定のない日はだいたいツタヤさんで借りてきた映画DVDを観る。今年に入ってもう12本も観てしまった。私の孤独を知るための指標となる。知りたくもないけれど。

いちいち数えていなかったけれど時間を持て余していたので、ついでに数えてみると去年は73本。せっかくなのでどれか一本誰かに勧めてみたいところだが、勧めさせてくれる他人も居ない。もしかして私孤独なのでは?孤独じゃん。考えれば考えるほど理不尽な腹立たしさが押し寄せてくるので、憂さ晴らしに一丁、最悪な映画を紹介しちまおうって魂胆さ。誰も得しないぞ。

 

1.神々のたそがれ

これさあどんな話って説明できないよ〜。ざっといえば賢者が殺され、愚者にのみ生きる権利を与えられる。そんな国民たちを神は目の当たりにしてなんかセンチメンタルになっちゃうの。サブカルっぽいものごとには目がない彼に連れられ長編約3時間、私はただ人々が意味不明のルールに従って生きたり泥まみれになったりなんとなく内臓をはみ出してみたりする映像を、しかもモノクロで観続けた。会話はあるが各々まったく繋がっていない。この終焉そのものみたいな世界でいったい何が始まるんだとだれながらも期待を寄せて観ていると、神らしき人が立ち上がって「神はつらいよ」と去っていった。ただそれだけの映画だった。終わった瞬間エッ!って叫んだ、隣で彼はすやすや眠っていた。こんなことなら神戸三宮ヒステリックジャムのリッチなクレープ頬張ってサブカルショッピングでもした方が有意義だよ。観ないこと。神戸三宮のヒステリックジャムには行け、行ってクレームブリュレを食べろ。これは使命だ。

 

2.ストレンジャー・ザン・パラダイス

 ジム・ジャームッシュ脚本だかロードムービーがどうだか知らんがとにかく暇なんだよなあ〜。陰気臭い男女三人の奇妙な共同生活が始まって、しかもこの三人っていうのがお互いそんな仲良くないんだよ〜。こんな合わない三人で遠くに出かけよってなって、うまくいくわけないんだよ。で、やっぱりうまくいかなかったねえって感じで話が終わっていくの。初めっから「だろうねえだろうねえ」の繰り返しで新鮮味もクソもあったもんじゃないよ。

 

中途半端だけどこの2つだけは観てはだめ。人生の大きな損失になる。

良い映画で語りたいな。でも睡眠薬が効いてきたからこのへんで。私はまたあのイラン映画と向き合って、ネオ現実を生きるの。ネオ現実ネオネオ現実。

現実はさびしいのだろうか。寂しいからうつらうつら揺れる私の浅い夢に干渉してくるのだろうか。

 

過去にもミクシィで似たような日記書いてたんだよね、そのときの日記が予想外に読まれる日記で。当然おかしな奴も粘着し始めるものだ。たびたび「それは僕達が性欲の奴隷だから」という謎めいたコメントをのこしていく人がいた。(日記の内容とは無関係なのでぶっちゃけ早く粘着やめてくれと思ってた)

何を言っても「性欲の奴隷であるせい」「性欲の奴隷だから仕方がないこと」の性欲の奴隷一点張り。ミクシィを離れた今性欲の奴隷の人が誰の日記の奴隷になっているのかなんて別にどうでもいいことだけれど、せめて、過去を恥じる程度に成長してくれているのであれば、実はちょっと会ってみたいって思う。生理的欲求の奴隷は、卒業できそうか?