009-009

エスゾピクロンの散歩

お前はおかしい

「お前はおかしい」

これは頻繁に言われるのでもう慣れた。若い人たちの言うキチガイとか、異端児とか、若気の至りみたいな一時的な意味合いではなく、相手に「脳のどっかに欠陥があるんじゃないの」と言わしめる禍々しい何かが私の中にあるらしい。もうわかんないからわかんないまま生きていくね。これまで通り私は私の正しいと思う選択をして生きていくね。

 

009です\(^o^)/ついに「へんこ病」が治りませんでした。

 

今まで誰かを妬んだり羨んだことがなかった。だからもちろん、劣等感を感じたことも、対抗心を燃やしたこともなかった。誰々に負けないとか勝ちたいとか言ってる人のことを内心では馬鹿にしてた。狭い世界で生きて、窮屈そうだなあと思ってた。似たようなのが小競り合いしてもどんぐりの背比べだよと思ってた。だけど一番狭いのは私の世界だった。私ひとりで閉じていたのだから。

 

"自分は自分、人は人"が行き過ぎた例というのが私のマインドで、この考え方は逆に世界を狭くするんだよね。社会における自分の立ち位置とか、上下関係とか、成績の優劣とか、自分にまつわる数字とか。社会から見た自分になんて全然興味ない。大切なのは、いかに自分に尽くすかだから。他人の成果なんて私の人生に影響しないのだし、比べて優越感に浸ったり憂鬱になっているほど暇でもない。負けてはならないのは常に自分のだらしない心だけだ。昨日の私はもう古い。明日そう思えるようになっていたら、私は優勝者だ。今のところ、勝ち越してる。

 

それとは別に、私はけっこうなシチュエーションにおいて意見が受け入れられなかった。何かお門違いな発言をしていたのかもしれない。ひとつひとつの選択を馬鹿にされたこともあった。過去のことや友人関係、生活のことや服のことにまで言及された。それでもなおこの環境を守り続けているのは、自分のすべてを肯定していて、これが正しいと信じて止まないからだと推測している。(自分のことなのに、きっぱりとは言い切れないこともあるね)

 

「お前はおかしい」その後に続くのは「妙に自信がありすぎる」だった。

くだらないと思っちゃったからあまり真剣に聞かなかったけれど、"人は"(君がだろ?)だいたい何らかのコンプレックスを抱えていたり劣等感を持っていたりするもので、それのせいで正直なアクションを起こせずにいるものらしい。

私の言われる「おかしい」は、上の考え方に対する無理解さから来ているのだろうなとなんとなく解った。

 

根拠もないのに自信満々って、しかしおかしな話だね。確かにね。だけど逆を言えば否定的に捉えている自分の内面を肯定してくれる人が周りに居るから、君は安心して自分ディスりができるんじゃないのかな。誰も肯定してくれなくなったら、セルフ全肯定始めるっきゃないよ。わかってくれるでしょ。

 

 

君の信じているものを馬鹿にしても別にいいでしょ。

君は変わらず信じ続けていればいいのだし。

ちょっとやそっとで、揺らぐなよ。