009-009

エスゾピクロンの散歩

変わって

今日(先ほど通り過ぎた一日)は高校生の頃勝手に好意を寄せていた男の子の誕生日でありました。生きていたとしても彼は男の子ではなく普通のおっさんであることでしょう。私がおばはんであるのと同様に。時は流れていくのです。

ほとんど真っ直ぐに切り揃えられたつやつやの前髪もその下にあったビー玉のような無感動な瞳も真面目なカラーのエナメルバッグもウエストまで上げた千鳥格子柄のパンツも白いスニーカーも今は昔、もしくは私の妄想だったのかもしれない。今じゃない。今じゃない10年前のあの男の子を、今も好きなままでいるよ。好きな理由も分からないまま。3年間のきらめきよ、さようなら。しかし、永遠に。(ここで言う永遠は、私が死ぬまでの期間を指します)

 

今日はおじいちゃんに会いに行った。当方のコミュニケーションスキルは本日も壊滅的であったため、ほとんど無言のまま面会を終了した。おじいちゃんの部屋には過去数十年分の写真が所狭しと散りばめられており、静かなのに非常に賑やか。二十数年前の私の写真を指差し「私の孫…この頃は可愛かったねえ」と話しかけられ、とっさに「おじいちゃん。これは私だよ」と確認する。ああそうだったねえと曖昧に笑ってぼんやり壁を見つめている。私は何を言っているのだろうか。まさか今も可愛いかどうかなんて確認しようと?こんな弱ってしまったおじいちゃんに、まだおじいちゃん性を求めていたのです。いわゆるジジみです。ジジみを求めていたのです。自身のバブみに気付き俯いている間に、何も言わず立ち去ってしまったおじいちゃん…おじいちゃん、すみません。

おじいちゃんはなんだかすべてを忘れ続けているようで、いけないことではあるけれど、そのことに救われる。過去の私と今の私を結び付けられなくなってしまったおじいちゃん。かつて特攻隊員であった強いおじいちゃん。立派に働き、政治経済株経営の話に花を咲かせていた賢いおじいちゃん。初孫の誕生に踊って喜んだ可愛いおじいちゃん。絵も字も上手いし料理も上手い、囲碁も将棋も麻雀も負けない、できないことの方が少ない器用なおじいちゃん。大学生になったら部屋を譲ってあげようと、私が幼少の頃から言って聞かせたおじいちゃん。この子は大物になるぞと声を上げたおじいちゃん。ひ孫の顔が見たいとぽつりと言ったおじいちゃん。

叶えられないことばかりで、会うたびに私を忘れていく彼に対してどうかこのままと願わずにいられない。ついに現状について質問されなくなったとき、安堵と、どこか高い場所から飛び降りたい気持ちが同時にやって来て、心がペチャッとなってしまった。彼は私の全承認欲求の矛先でありました。しかし今はそれさえも過去です。

好きな人たちが変わっていくことは執着から開放されることだと思う。君たちが生きている間に、あと何度君たちの葬式をしなければならないのだろう。こうやって何度も人を見送って、私だけがいつまでも同じ世界で生きているみたい。

きらめきよ、さようなら。しかし、永遠に。