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エスゾピクロンの散歩

文フリにまつわるエトセトラ


f:id:nikolog:20170925235038j:imageサークル てふ「ら」


f:id:nikolog:20170925235049j:image左/平川マオ「おいでよ!ボリウッド」右/かたち「私よ、こんにちは」


f:id:nikolog:20170925235141j:imageサークル アイスコーヒー 歌集「赤い犬」「青い犬」

 

0918月祝 大阪文学フリマにてゲットした本を撮り集めたらオシャレっぽくなった。文学は、ファッションと密接な関係を築いている?それは存ぜぬ。今はかたちさんの本を読み進めてる最中。進捗15ページ。(全98ページ、道程は遠い。)

ただ私は女。今は男の身体で暮らしているけれど四、五時間前までは延々なるかわいこちゃんでありました。紳士性など育む必要なく天真爛漫に暮らしていました。そう云うわけです。時間を経て紳士になるわけです。今の私は想像の紳士に過ぎません。(「私よ、こんにちは」P11)

今夜のお気に入りはここ。今後も続々見つかってゆくことでしょう。本を読む意義のたいていはここにあります。男と女が自意識交換なんて使い古されたネタをまたなぜなどやはり愚問だったのだと自分の中の自分に教えてあげます。進捗10%ですでに右ストレート頬に受けた気分。読み終える頃には真っ白に燃え尽きているかも。沙奈は中学生ながらも自分の性を理解しその特権を利用して生きてきた。そして、その自覚がある。身体はともかく普通より早熟で達観した女の子なのだ彼女は。自己理解のある女の子。現実世界にはどの層にもあまり見ない。身の丈を知る女の子だ。だからこそ新しい状況も簡単に受け入れる。理解する。これまでの特権はすべて無効化される。そのことに彼女は動じない。理解しているから。

 

かたちさんの文には句読点があまりない。音読すると声が絶え絶えになる。でもそのスピード感がいいのかな、私はなんだか夜のサイクリングへ出かけたときのような、広々とした気分に。文が繋がっているということは、ここからここまで空間が同じですということ。文が点で止まらないということは、空間は広く大きいのだ。きっとかたちさんの世界は広く大きいのだと思う。今日は、ここまで。