009-009

エスゾピクロンの散歩

たこ焼きピック

面白いことなんか言おうと思ってない。いつも当然のように真面目だ。冗談はほとんど言わない。誤解されるのが怖いから。つまらない話をしたくない。だから黙っている。需要と供給がクロスするポイントに立っていたい。常に望まれただけ与えられればいいのに。

高校二年の春、ベランダに身を乗り出したが「逃げるな」と引っ張られ部屋へ連れ戻された。あれが最初で最後だ。それから前向きに自決を検討する日々を送るが腹を括れず気が付けば10年。四捨五入をすれば30になる。今さら死んでも美しくもなんともない。

髪の毛を伸ばさない。襟足が首筋に触れて痒くなった頃に、美容院へ通う。嫌だった。女に女と認識され密かに大きな敵意を向けられることが。男に女と意識され要らぬ壁が立ちはだかることが。男になりたいなんて言ってない。ただ女をやめたかった。男でも女でもないただの人間として生きたかった。

かつて人を殺そうと考えた。アイスピックでめった刺しがお似合いだと思ったので家中を探した。でも見つかったのはたこ焼きピック。仕方がないのでこれでいこうと決めた。カバンの中へ忍ばせた。その日の晩、転職を勧められた。私は結局、誰の命も奪わずに逃げた。

高校の三年間、付き合っていた男の子がいた。別の学校へ通っていた。うちはルールが厳しいので、付き合ってわりとすぐに彼とのデートを禁じられた。門限は五時半だし、学校の帰りにこっそり会ったとて日が沈まないうちに家へ帰った。門限は一分でも遅れたらアウトで、泣いてお願いするまで家に入れてもらえなかった。私が泣いて許可を乞うている間に、彼は余った時間を有効に活用し、他の女の子ともよく遊んだ。彼が原因で入院したことがあったが、逆に彼は「もう俺の心も身体もボロボロだ(お前のせいで)」と自分の身を案じていた。私は心底呆れたが、そういうところが逆によかったのかもしれない。私を心配し気遣う母なんかは、本当にボロボロに見えた。私のせいでずたずたになるくらいなら、自分のために傷ついてくれた方が、まだ気持ちが楽だった。彼の思いやりのなさに惹かれて一年が過ぎた頃、両親から彼との交際か通学の二択を迫られた。今思えばあんな男は捨てて自分だけの青春を謳歌すればよかった。私は三時間も同じ体勢(なぜか土下座)で悩み続けた。三つ目の選択肢を提示されたとき、簡単に飛び付いた。それから二年間、試験の成績を上位20 %以内に保ちながら週5のバイトで学費や食費、交際費を稼ぎ、家事は自分でやった。不思議な光景だった。家族みんなが食卓を去り寝静まる頃、鍋やフライパンを借り、見るからに怪しい飯を作り、一人で食べた。自分で作った飯は、まことに量が少なく、まずいものである。その条件を満たしてもなお堂々と会うことは許されなかったが、忍んで二ヶ月に一度は彼に会った。両親は私から通信機器や家の鍵を取り上げて、彼と引き離そうと躍起になったが、これがまた火に油を注ぐこととなり、高二の冬に私は家出した。たったの一週間だったが珍しい日々だった。五時半以降の景色を知った。夜に食べる吉野家の牛丼はおいしい。しかし最終日に彼は泣いて「このままじゃ俺が誘拐犯にされちゃうよ」と訴えた。呆れて、家へ帰った。大学は指定校推薦でと安易に考えていた。急に伸びた後半二年の成績のおかげでなんとなくうまくいきそうだった。話は進んだ。両親も、学費は負担するので出世払いで返してくれるようと言って後押ししてくれた。その話をしたくて彼に会ったら、ばったり母親に遭遇した。帰ったら口も聞いてくれなかった。それですっかり両親の機嫌を損ねて進学の話がパアになった。変な話だ。行きたきゃ自分の金で行きなよと突っぱねられたが残高は329円、入学すらできない。笑っちゃう。叔母や祖父母に詰め寄られたが本当の話をできなかった。だってこんなにばかばかしいから。当の彼は他の女と子供を作ってさっさと結婚してしまった。

私は卒業後無事就職して、太古より続く縦社会の歪みに触れた。綺麗な顔をした先輩が、なぜか涙を流しながら執拗に私を罵倒した。努力や良心など無駄なことと知った。それも仕事のうちと引き受けていたら、どんどん記憶が抜け落ちた。夜通し遊んで、朝が来る度に目眩し、嘔吐した。手を変え、品を変え、やがて、人を殺そうと考えた。

それ以外に選択肢が無かった。