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009-009

ロングロングプロフィール

招かれざる客

やれ絶対音感があるだの複数の作業を同時並行できるだのなんだのほんの少しのことをやたらと私に言い付けて覚え込ませようとする。何者かになりたいと彼は言う。絵も文も音楽もどうやったって遥かに上を行く人たちの才能を前に希望を失ってしまう。所詮俺は特別になれない。どんなに努力しても追い付けないと嘆く。人並みの努力をしたことがないお前にこの苦しみは分からないだろうけど、と続ける。私は黙って耳を傾ける。バレないように首も傾げる。

彼はどんな人なのと訊かれたときに、器用で何でもできるし、多趣味で物知りな人だと答えた。でもママは、それが生きていくのに何の役に立つのかとはね返した。私に。知らないよ。彼じゃないから知らないよ。なにしろ彼のこと以外も何にも知らないんだからね。ちょっぴし気味が良い。

 

才能のある人を知っているから、才能の意味は分かる。たとえば同じ風景の中で違うものを見ている二人の差がそっくりそのまま才能の差だ。(この文章は我ながら全くわけが分からないが気に入った。)

彼と私の間にも大きな差があるにせよ天才との差に比べれば僅差である。勇気を持ってここに書く。"私たちは、凡庸です。"

 

天才は自分の才能に気付いていないか、頓着しない。私はずっと見てきた。自分と他者の差異をわざわざ言語化して公表したりしない。違うことが、彼らにとって自然なことだから。なんなら彼らならきっと「みんな違うに違いない」と思っているさ。

 

才能というか向き不向きは誰にだってあると思う。たとえば彼は小さな頃からピアノをやらされて、手本もないのに作曲させられたという。なんとか出来たと言うので驚きだ。私も小さな頃ピアノ教室へ通わされていたが、「両手で弾きましょう」の授業でオーバーフローしてしまい、以後、ピアノ両手弾き恐怖症に。(それは言い過ぎぃ)しかし絵は生まれつき、なんとなく描ける。おかしなことだけれど、鉛筆を握れば、あとはイメージを出力するだけの簡単なお仕事だったのです。逆に彼のペンの運びは練習すれどちんぷんかんぷんだ。そうやって小さな才能の種は凡人であるボンジュールな昼下がりの私たちにも等しく滑らかに分け与えられてきたものである。

 

※花開くのは天才のやつだけです。

 

憧れることに躊躇いがある。憧れたり妬んだりするのは自分のどこかに当事者意識があるからだと思う。これはたぶんきっとおそらくメイビーなお話なので、真に受けて傷付いたりしないでほしいんだけど。念のために、あと少しこうしていれば、今頃俺もあそこにいたはずなのにな!と思ってる?と確認したら、間髪入れずそりゃそうでしょ!との即答。でもでもそれって超超自惚れだよと言って傷付けたいような、彼の純粋な向上心を今後も見守り続けたいような。

憧れることに躊躇いがある。だって私だけ違う土俵に立ってる気がする。みんな広い土俵の上で各々マウンティングを取り合ってる中、私だけが圏外にいるような。相手にすらしてもらえないような、むしろこっちが願い下げのような。とにかく戦意喪失。

花咲く種と失敗の種があって、完全に失敗の種サイドのホモサピエンスがさ、花に劣等感を抱いてるのって場違いじゃない?夢見るのは自由でも。

 

私はね、言いたくても言えなかった言葉だけでこのブログを作っていくんだよ。

 

昆虫でもさ、種と種を掛け合わせて新しい種を作る趣味の人いる。私の好きなのでいくと、えーと蝶。雑種のイモムシが誕生。でも別種同士の子なので例外の食事や病気も多く不安定な遺伝子なの。蝶になるまで成長するのは本当に珍しいパターンで、そのほとんどはまず孵化すらしない・イモムシのときに死ぬ・さなぎから出てこられずに死ぬ。

長い長い話になったけど、私たちはこの実験過程を生きていて、たぶん大人になれないイモムシなの。

 

私たちは、凡庸です。だけど凡庸なあなたは私の特別です。それだけでどうか救われて。あなたはどうしようもないくらい、凡庸なのです。