009-009

エスゾピクロンの散歩

「そんな大人になってほしいと思っていたんだよ。」

すっかり空っぽになってしまったお財布を鞄の奥に押し込みながら(ギリ足りたわ〜焦った…)とホッとしていたとき。先に店を出て私の会計を待っていたおじいちゃんに言われた言葉。たいしたことをしたわけではない。ご飯に誘ってくれたのがたまたま初任給が出た頃だったから。高い寿司屋だけど手持ちのお金でなんとかなるだろう、ここは私に奢らせてよと言ってみたんだ。そしたらおじいちゃん、ニッコニコの笑顔になってそうやなあ!そうしてもらおか!と遠慮なく食べてくれた。いいもの食べたあとはいつもおじいちゃんが会計で大枚叩いてる背中を見てた。彼は彼の子(父)や私たち兄弟以外にも、だいたいそんな感じだ。おじいちゃんが最後に奢られたの、いつなんだろう。おじいちゃんに奢ってくれる人はいないんだろうかな。そんなことを考えてふと「初任給が出たから、ご馳走したい」と口から出まかせ。財布の中にいくらあるか数えもせずに、完全に思い付きで。

 

「私はね、009にそんな大人になってほしかったんだよ。」

 

うちが異質なんだか分からないけど、私や弟が成果を出したときにパパの実家へ集まって、それを褒め称えるというあれがあった。(語彙力がないから分かんないことはだいたいあれでいく。)

たいがい弟が勉強において立派な成績を残してくれることにみんなの注目は集まった。私が残すと言えばたまにやる絵のコンクールでそこそこいい賞を取るくらいだった。進学を期待されていたが、いろいろとバッドタイミングが重なり結局高卒。すぐやめて今フリーターです。手塩にかけてかわいがった孫がこんなだからきっと失望させただろう。なんの取り柄もなくただ死を待つだけの毎日です。それなのに「こんな大人になってほしかったんだよ」ってなんだよ。そう、中途半端で評価者に媚びたあんなクソ絵なんて、一時的に上がった成績なんて、私にとっちゃなーにもおめでたくなかった。

「こんな大人になってほしかったんだよ」

彼からこの一言を引きずり出すのに18年を要した。私が欲しかったのはおじいちゃんからのその言葉だけだったんだよ。やっとステータスじゃなく私という人間を認めてくれたような気がした。

 

おじいちゃんについての話はこのくらいにしておきたいけどもう少しいいかな。いいよね。

おじちゃんとは別居中だ。たまにしか会わない。もっと言うと彼に会うのが怖い。仕事はどうか?結婚するのか?孫が見たいな。彼にとっては当たり前で、自然な質問なのだ。事実私もいい年だし気になるのだろう、気になることがそれくらいしかなくなるのだろう。で、私はいっつも同じ質問に答えられない。

おじいちゃん。仕事はぶっちゃけ正規は無理かも。なんかライフスタイルに合わないの。おじいちゃんみたいに大成できないや。だって仕事と自分の人生ってやっぱり別々な気がする。趣味がない奴にでもやらせておけばいいのにさ、仕事に生きることなんて。で私なんだけど、彼氏は常備してるよ。いないとね、ちょっと不安なの。単に彼氏と呼んでるけれど、彼は私の親友でもある大切な人間だよ。だからって出産秒読みってわけでもないの。わかるでしょ。言われるたびに何度も考え直した。結論が出た。人生のどの瞬間も誰にも規制されたくない。だからイヤなんだいつまでも同じ職場で定年まで同じ人間と顔合わせ続けるなんて。彼と結婚し子供を生むことで奪われる私の時間は積み重なると取り返しがつかない。私は私の人生を生きているから、やっぱり期待に応えられそうにないの。

 

「こんな大人になってほしかったんだよ」

褒めてくれたのはそれだけだったけど、あの瞬間のために私は生きてきたんだと思う。

大学へも行かなかったのに。いい成績を残したわけでもないのに。うれしかった。うれしかった気持ちだけ大切にして、もう彼に会えない覚悟もした。

これからも彼をがっかりさせ続けるだろう。努力する気もない。あれ以上の言葉はもう聞けないから。お寿司食べてバイバイしたあの日の私のことだけしっかり覚えていてほしい。おじいちゃんに認めてほしくて生きていた最後の日の私を。