009-009

エスゾピクロンの散歩

ときめきについて

5時間も乗っていれば電車がどんな形をしていたか忘れてしまうように、年単位で続く恋をしていると恋がどういうものだったのか忘れてしまう。もれなく友人関係もよく分からなくなってしまう。いやいや、それは私だけかもしれない。みんなはもっと明瞭な毎日を生きているのかもしれない。

 

ときめきだけを糧に生きてきた私は、たった今、何に縋って生きれば良いのか分からない。

009です/(^o^)\

 

ある日突然来たということもない。ゆったりと下降し、気づかぬ間に着地した。私の心はすっかり平らになってしまった。兆候は、あったと言えばあったが、果たしてあれがそうだったかも今となっては分からない。分からないことばっかりです。

 

実は好きって言葉は嘘でした。10年前から嘘でした。本当です。本当の嘘です。好きじゃなかったのかというとそれも違う。物事は、好きか嫌いかだけではないということを、まずもって知ってもらいたい。私は、今までのことを好きか嫌いかではなく、良いか悪いかで判断していた。これは一昨日の夕方に、判明した最新のニュース。だいたいからしておかしいと思っていた。何か好きとか嫌いとか言うたびに、嘘をついたようなやましさがあり、目が合わせられなかった。言われることも同様に傷付いた。これは完全に言語感覚の話になるが、私の「好き」は生理的欲求を満たすものごとに向ける感情であって、その他はこれに当てはまらない。「嫌い」も同様に。たとえば、じゃがいもは大好きだがあなたのことは好きじゃない。フワフワの布団が好きだがやはりあなたのことは好きじゃない。簡単なことなのに、一昨日まで気が付かなかった。だけどたとえば、整理整頓されたデスクは良いし、イモムシの脱皮も良い。そういえば、あなたも良い。とても良い。私を生かしはしないけど、良い気持ちにさせてくれる。それが好きということだと言われてしまうともう何も言い返せないけれど、私の中では完全に別ものなのだ。試しに"好き"な人たち数人に「あなたは良いね」と言ってみたら、やはり腑に落ちた。騙したような気にはならなかった。生まれて初めてだ。(ちなみに、"嫌い"な人のことを「悪い人」と表現すると、これまたしっくりきたのだった。)

 

実は好きって言葉は嘘でした。10年前から嘘でした。本当です。本当の嘘です。

 

しかし次の瞬間、判ったところで何だと思った。まるで私には食う寝る排便以外に没頭できる趣味が無いとでも言いたげじゃあないかね。そんなのあんまりさ。それなのに反論がないや。思えば食う寝る排便より好きな人やものなんて、なかったような気がするし。あったら生活が崩壊するし。でもさあこんな気持ちに気付きたくなかったよ。悲報。私、長いこと何も好きになってないんだと判る。長いこと何も好きになってないと全米で話題に。

 

波乱万丈と表されがちな人生だ。だからといって、特に、ときめきがない。食うも寝るも脅かすような衝撃的な人やものに、もう長いこと出会っていない。私の価値観がくだらないだけで、本当はもっと世界は素晴らしいのかもしれないけれど。心が動かない。見聞きする全てが、頭をスルーする。良いとか、悪いとか。アットコスメやアマゾンのレビューじゃないんだからさあ。だめだよ良いとか悪いとか言っちゃあ。歪んだ解釈をされて相手の気分を悪くさせたらどう責任取るのよ。歪んでいるのは私の解釈なのだけどね。

 

よく分からないまま生きてる。とにかく無感動に生きてる。存在をありがたがって、たまに手を合わせる。それなのに、あなたのことを好きじゃない。もしくは一度、この列車を降りて恋とは友とはなんぞやと、まじまじ観察してみようかな。私たちの形は、外からしか視えないものね。