009-009

エスゾピクロンの散歩

死ぬこと

映画「最高の人生の見つけ方」を観た。元のタイトルは"the bucket list"(死ぬまでにやりたいことリスト)。どうしてこうも内容に誤解を生むような邦題になってしまうのか。解けない謎である。

サラッとネタバレすると、余命僅かの二人のおじいちゃんが後悔なき人生をとタッグを組んで世界を旅するお話だ。死に対してポジティブに立ち向かう話はありがちだ。が、好きだ。死と言えば重く受け止められたり嫌な顔をされがちだが、生まれること同様に命あるもの全てについて回るものだ。死も人生の一部だ。

 

毎晩死ぬ日のことを想っている。いつまで思春期営業しているんだ?009です\(^o^)/

 

最近飼育していた昆虫が死んだ。ばたばた死んだ。35頭いたカイコの幼虫は、成長過程で死に、変態途中で死に、無事蛹になったのはたったの1頭だ。その1頭も羽化できるかは分からない。もしかすると蛹のまま死んでしまうかも。だってそういうことも往々にしてある。

 

私は好んでよく昆虫を育てるが、生憎彼らの生命のサイクルはショートスパンで、しょっちゅう死に目に会う。孵ったときから育てた昆虫が、その一生を私の部屋で終えるのだ。残酷な話のような気もするがこればっかりは仕方が無い。私の娯楽の為に生き、死んでいただくほかない。もちろん私もその命の為に尽くすが、どれだけ努力をしても、死んでしまうものは死んでしまう。こちらはありがたく命を消費させていただくのみだ。虫たちの中にはひとりで死んでしまうものもいたし、子孫を残して死んだものもいた。育てた虫の子孫がまた私の部屋で短い生涯を終えたときに気が付いた。

死ぬってそんなにたいしたことではないのだと。

 

最初に育てた虫が死んだとき、明日会社に行けるか不安になるほど泣いた。生き物の死にはいつまでも慣れない。今も慣れたわけではないが、だんだんと受け入れられるようになった。寿命という観念を思い出したからである。

だいたい4ヶ月がその虫の寿命だ。まあまあ全うした方だ。みんな寿命で死んでいったのだ。こう思うと気が楽になった。

私もいつか死ぬ。ヒトの寿命はだいたい80年と言われている。成長過程で死ぬか、羽化不全でも生き延びるかは分からないけれど。死って、毎日の中に潜んでいる。見えないけれどごく当たり前のことだと思う。

 

毎日のように死んでいった虫たちを思い、スパンは違えど自分も彼らのようにいつかサイクルに巻き込まれ当たり前のように死に、翌日から私の居ない世界が問題なく回り始めるということを思う。

 

怖くない。