009-009

エスゾピクロンの散歩

理由を求めること

睡眠薬なしでは眠れなくなった。それに、下剤なしではろくに排泄もできない。こうなる前はそれが異常なことだと思っていたけれど、なってみれば思ったより深刻なことではなくて、なんなら「薬さえあれば全部解決するんだからまだ大丈夫」って、えらく楽観的だ。こんな調子でこれからもあちこちが壊れて、いつの間にかサプリなしでは生きられない身体になってしまうのだろうな。でも、だからなんなんだって思うよ。009です\(^o^)/

生まれたら、あとは死ぬだけだね。

 

 私の狭い知見では、物事には必ず始まりと終わりがあるということになっている。原因なくして結果なし、終わりよければすべて良し。(言いたかっただけよ。)

 

興味のある人に好きだと言われれば、空気を読んで「私も」などと調子を合わせておけば良いのに、私はどうしても「なんで?」と聞いてしまう。興味があればあるほど聞いてしまう。先日恋人に「情緒が無い」と指摘されたばかりだ。何か嫌いだという話を聞くとまた「なんで?」と聞いてしまう。もう分かっただろうけど、私はとにかくどんなことにも理由を追求してしまうタチだ。例えばここで「感情に理由は無い」「なんとなく」なんて答えが出ようものなら興醒めだ。私こそが"勝手に期待・勝手に失望マン"だ。

 

好き嫌いに限らず、こちらのふとした疑問に対し「なんでいきなりそんなこと(笑)」「わかんない(笑)」と答える人は意外と多く、こういう人たちは、単純で目に見えて分かることとしか向き合えない。(でもその一面を見せてもらえるほどの仲ではないにも関わらず私が踏み込み過ぎている可能性もかなりある。)

しかしながら問に対して即答できる人・その場で分からなくても考えて、歪ながらも何か言葉に表してくれる人はやはり一線を画している。

 

問に向き合えること=自分と向き合えること

答えを言語化できること=自分を表現できること

 

と考えている。何でもかんでもノーリーズンやらアイドンノウで片付けることは、思考放棄なんじゃないの。「私は自分のこと考えたくありませーん」「自分のこと何も知りませーん」と主張しているのと同じだ。自分を語れない人に、少なくとも惹かれることは無い。何の話も知らないわかんないなんとなくじゃつまんない。だもんで今日も今日とて理由を求め続けるよ。

 

改めまして009です\(^o^)/

天空目線でペチャクチャピーと書いてるけど実はこれ、自分への戒めでもある。金銭的、精神的に少し余裕ができ、暇な時間ができた今でこそ、食う寝る以外のことにも目を向けられるようになったけれど、これより前はひどかった。生活を営むことに手一杯で、他人または自身の疑問に向き合う余裕もなかった。ノーリーズンアイドンノウコンテスト優勝候補者だった。

だからこそ分かる、余裕の無い奴はつまらない。つまるつまらないの話ではないことは分かっている(むしろつまっているだろう)が、私の中ではやはりつまらないのだ。

 

すべての物事は多面体だ。一つのことにとらわれて、一つの面しか見られなくなったら、それは3次元→2次元くらいのグレードダウンだ。奥行きロス。失われた奥行き。いや2次元の方が趣深い場合があったとしても…。

忙殺されてはならない。…されたい人はされてください、そこは個人の自由ですし。(ところで忙殺って漢字ヤバくない?心を亡くして更に殺されてるんだけど、どういうこと?ハ?)

すべての感情に理由を見つけてください。自分のことを知ってください。わからないなんとなくで済ませないでください。自分から逃げないでください。内側に引きこもっている自分を発見してくれるのは白馬に乗った王子様ではない。誰でもない自分です。

 

ってちょっと説教めいてるね。数年後も同じことが言えたら良いなあ。暇を持て余すってサイコー。