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009-009

ロングロングプロフィール

日記を書くこと

高校卒業と同時に手に入れた携帯電話はまだガラケーと呼ばれる旧型のもので、白くて薄い、折りたたみ型のケータイだった。

 

高校の入学祝いにと買ってもらった分厚くて赤いケータイは、数ヶ月も経たないうちに勉強に身が入っていないだの親の気に食わない彼氏となかなか別れようとしないだのコソコソするなだのそういうしょうもない理由で何度も取り上げられ、挙句の果てに無断で弟に貸し出されたあと、水没で二度と画面が点灯することのない状態で私の手元に戻った。(弟は何も悪くない。ただの事故。)

中学時代からずっとずっと憧れていた"ケータイ"。一人部屋を与えられても四六時中監視され、抜き打ちで持ち物を検査され、家のルールも厳しかった私の家庭の中で、ケータイだけは唯一の、私だけの秘密の箱だった。ケータイだけが私の部屋だった。それが思春期の私には与えられなかった。それだけと言えばそれだけの話ではあるが、その時代にケータイを持てないことの乗り遅れ感と言うか疎外感、孤独感は、高校時代を経験しただいたいの人には想像が易いはずだ。

仕方なくブログの更新もメールのやりとりも、親の見える場所で、決められた時間内に共有のパソコンから済ませなければならず(それ以外の時間帯はネットの接続をさせてもらえなかった)閲覧履歴もメールの履歴も見られたい放題。プライバシーって炒めて食べると美味しいのですか?というレベル。

当時付き合っていた男の子との共同ホームページのURLを書き留めた紙の切れ端をママの机の引き出しから発見したときには絶望したものだった。もはや私にプライバシーなんてものは存在しないと知ったのだ。見られても問題無さそうな、当たり障りのない内容のメール、綺麗事ばかりを綴ったブログ。それからの私は、高校卒業に至るまで、液晶の中でさえも偽り通した。

 

話は戻るが高校卒業と同時に手に入れた携帯電話はまだガラケーと呼ばれる旧型のもので、白くて薄い、折りたたみ型のケータイだった。

 

 社会人になった記念にと、どういう風の吹き回しか親がまた買い与えてくれたのだ。もうトラブルメーカーの男はいないし勉強で成果を残す必要もない。お金は自分で稼いでいくし、取り上げられる理由が無かった。18歳の春。周りのみんなより少し早い社会人デビューと共に、私は初めて"自分の部屋"を手に入れたのだった。

まあしかし元々上手くいかない私と両親の間柄、予想通りすぐに家を追い出され、皮肉にも20歳の夏、私の自由はより確固たるものとなった。

 

長い前置きは平常運転、長い前髪は過去に置き去り。009です\(^o^)/

西の黒服ナルシストと名乗ったのは遠い昔の話で、今や見る影もなくそこそこ明るい色の服を着て、十分な栄養を摂取し身体はやや丸くなり、職場を転々としながらもそれなりに、あの頃描いた理想の世界を生きている。

 

数年前、知る人ぞ知る…っていうか知らない人は居ないのではないか、mixiという名のSNS。で、黒ガールとして名を馳せ時の人となるという黒歴史(黒ガールだけに)を構築した私だが、実はそのアカウントにおいてファッション自撮りよりも注力してきたのはズバリ"日記"の更新である。

社会に出て、家を追い出され、精神を病み、誰への相談もなしにポッと退職するくらいの、ちょうど2年間ほどの出来事が綴られている。

学も文才もこれといった趣味もなく、よくぞあれほどグダグダこじらせた堂々巡りの思考を日々公の場に晒し続けられたものである。我ながらたまげたよ。恋愛のこと、仕事のこと、生活のこと。くっだらない。

などと書いている今も、実は同じことの繰り返し。まるで進化が見られない。でも気にしない。人生はループする。

 

さて私がブログという形を採り"日記"を再開しようと考えたのには理由がある。単にもうすぐ死んでしまいそうな気がするからだ。そんなこと言ってちゃっかり1世紀生きちゃうかもしれないけれど、もう一度液晶の中に自分の生きた印を残しておかなければならない気がした。生まれ変わって、いつかまたここに辿り着いて、もう覚えていなかったとしても、もう一度私に私の存在を知ってほしい。

何を言っているんだかさっぱり分からない人も居るだろう、だって私もよく分かっていないし。始めるのだ。とにかく綴るのだ。それだけのことである。あらせられるのであります。

 

ときに、そのmixiブイブイ言わせていた頃の私はちょうど病みの全盛期だった。色々なことがイッパイアッテナ。単刀直入に言えばうつ病だ。今の言葉で言えばメンヘラ。

メンヘラというのはどうしてか、多面体であるはずの自分の性格の、最も暗い一面にスポットライトを当てる傾向がある。精神を病んでいること、暗く落ち込んでいる状態に自我を見出す。それが本当の自分だと思い込み始める。

これらは偏見ではなく私の経験だ。

 

そんなわけで私は約二年間にわたり、鬱々とした内容の日記を書き殴り続けた。よくネタが尽きないねえなんて言われたりもしたが、当然だ。当然のように次から次へとフラッシュバックや被害妄想の波が押し寄せる。そのはけ口がmixiだった。

 

ところがどうだ、精神病の元凶となる会社を辞めた途端に、日記に書きたいことが何一つ思い浮かばなくなってしまったのだ。

当時は気づかなかったのだが、既にうつ病ではなくなっていたのだ。これまで自分の核の部分だと思い込んでいた暗い面が、退社を境に光を反射しなくなってしまったのだ。この時、アイデンティティ喪失の疑似体験をした。

自分を失ったという思い込みでアウトプットがままならなくなった。空っぽになったような気さえもした。まるでそういう宗教であるかのように毎日着ていた黒い服への執着心も失った。普通の状態に戻っただけのことである。

 

ほどなくして平和な環境に慣れ、一時は唯一の心の拠り所としていたmixi日記も、心が豊かになり現実世界に楽しみを見つけられるようになった私には、もはや不要となった。

 

こうして完全に、自由の部屋より外の世界へ飛び立ったのだった。

 

そして今、"人格の多面体"の最も暗い一面以外にも向き合い、遅咲きながらも自分を理解し新たなアイデンティティを獲得した私は、再び日記を綴るに至ったというわけだ。

 

ちなみにこの日記を書くのに3度の夜を要した。いかんせん集中力が持続しないタイプのポケモンなのだ。

今後はもっとライトな内容と文量でお送りしたい。

 

高校卒業と同時に手に入れた携帯電話はまだガラケーと呼ばれる旧型のもので、白くて薄い、折りたたみ型のケータイだった。だけどそれも失った。この手の中にあるのは最新型のスマートフォンだ。時代は、変わったのだ。

 

このダラダラグダグダコンテスト優勝レベルの記事をここまで読んでくれた暇な君、ありがとう。

私はこれからも、ぼちぼちと生きるよ。