009-009

エスゾピクロンの散歩

超新星爆発

降り注ぐ星の五月雨は世界をシェアする知的生命体の涙を映していた。いつか隣でお喋りしていた星が、宇宙の拡大でいつの間にか遠くなる。大声を出しても届かなくなって、二度と触れられない場所へ。いつか遠い未来に、あの星の死のしらせが、か弱い光になって僕のもとへ届くだろう。君は死して僕の空で輝く星座になるだろう。

死ぬまで孤独だろうけど、これからも笑顔でいてください。

ケッコンが決まったんだよね。挨拶回りしてるんだよ今のうちに。嫁さんがそういうの厳しい人だから、これからは会えないかもと思ってさ。最後に少し話したいんだ。家に上がりたいな。上がって良いでしょ。マンションの真ん前にいるんだけど。トリさんが見たいな。トイレを借りていいかな。トイレを借りたら10分で出ていくよ。あっトリさん。カワイー。写真撮っていい?指を突っ込んだら噛まれたよ。ほら見て。ねえ水ちょうだい。いやケッコンはめでたいことなんだけどさ、本当にこれで良いのかなって少し迷う。

 

着替える?着替える。

 

これサイズ間違って買ったやつだけど、どうかな。肩幅合う?うん、ギリいけそうやね。つべこべ言わずにこれで寝な。ズボンどうする?元彼が履いてたスウェットならあるけど。しかし彼ちっちゃいからサイズ合わないかもね。おや、いけるか。小さいけど我慢しな。

 

別れてどんくらい経つの?さー。最近だよ。何年くらい付き合ってたの?知らん。4年くらいじゃないかな。俺、タバコ臭いかな。いやそんなことないよ。それで、何を迷ってるの?マリッジブルーかいな。ウーン、たとえばあそこにエアコンがあるじゃん。うん。リモコン一つでつけたり消されたりするわけ、相手の都合で。必要なときだけなんだ。

似た話をずいぶん前にツイッターに書いたな。話をしにきたというわりに、あまり探りを入れてほしくなさそうに身構えているね、君は。これから破綻しようとしている人間関係に、言及することもないけれど。まあ思いを言葉にするのは面倒だもんね。魂から出た言葉は中途半端な人のやわらかい心を引き裂く。知ってる。君は私に何か伝えにやってきたのではない。知ってた。君は何も話してくれないだろう。私は頷いて、諦めて、エアコンのように君だけのために今を生きた。

 

 

 

実のない話を聞くたびに、空気を読んで私が笑う。大人になったから、しかめっ面はもうしない。そういえば、つまらない話をするなと言ったよね、前にも。何も覚えてないんだ。同じ話を繰り返しているのに、初めて聞いたふうなリアクションを寄越す。昨夜の嘘を、今朝は覚えていない。嘘つきすぎて、誰にどんな嘘を言ったか把握してない。エクセル表にでも、まとめておけばいいのに。君は絶えず飢えていて、魂の器を探してる。誰も特別じゃないのに、誰かの特別になりたいと願ってる。真実なんてつまらない。けど見え透いた嘘はもっと白ける。それなのに、これからもそんなふうに生きていくと思う、君は。大きな壁にぶち当たっても、何か失っても、求めることをやめられない。リモコンを握ったつもりでいるのは君の方だ。スイッチひとつで思い通りになると信じてる。何度もスイッチを入れて、そのうち手応えがないことに気が付く。

 

気が付いても、笑っていてください。これまで通り嘘をついて生きてください。誰と居ても孤独だと、知ってしまったとしても。これからもそんなふうに生きてほしいと願う、君だけは。

左側上下親不知抜歯レポ

先日親知らずを抜いてきた。左側上下2本。左右は同時に抜けないらしい、麻酔の効きがどうちゃらこうちゃらで。けど片側だけなら一気に2本可能とのことだったので、絶対に良い思い出になると思って、イッキしてきました。良いの基準はよう分からん。

まず麻酔注射を歯茎に打ってもらうでしょ、それで口をゆすぐじゃん。でまた寝かされて、全然麻酔回ってないのに何やら先生「メス。長い方」とか言って助手に鋭利な刃物を持って来させてるの。して私の下側の歯茎にピッピッと切れ目を入れて準備完了って言ったね。でもまあ私はまだ麻酔効いてないので普通に「ウグ」って声漏れたわ。イテーわ普通に。

次に、親知らずと神経が近すぎる位置にないか確認するためにいったん立体レントゲンを撮影してもらうのね。順番逆じゃね。メス後で良かったんじゃね。別室に入ってなんかそんなような機械のそれっぽい皿の上に顎置くじゃん。すると左右両側から壁が迫ってきて頭を挟まれる。このときヤクザの拷問器具のことを彷彿とさせられ心臓どきどき、息ゼエゼエになってた。しまいに両手で下のバーを握らされるじゃん。バーを握るって行為はどうも苦手なんだ。ジェットコースターとか激しい乗り物に付き物でしょ。私は激しい乗り物が苦手なの。頭の中ヤクザ、ジェットコースター、麻酔、メス、ヤクザ、ジェットコースター、麻酔、グリコ、チョコレート、パイナップル。顔面蒼白ホワイトサワー、精神グデングデンのおでん。そんな感じで待機してたら左右の壁の周りの壁(?)がキュイーンと周り出して、なんとなく、恒星っていい身分だなと羨んだりした。地球には月がいるけど私には拷問器具がある。

レントゲン写真では左下の親知らずが真横に生えてて、なんかタイの涅槃仏みたいで尊かったです。

撮影が終わるといよいよ抜歯。また治療室に戻って先生と前のスクリーンで歯のスキャン画像見ていく。口内ならどこの断面でも確認できるのね。ここが神経でこれが歯の根っこですとか説明されたけどどっちも小さな点に見えたのでよく分からなかった。エコーで見るお腹の赤ちゃんも最初はこんな感じなんだろうな。「なんだかかわいいですね」とコメントした。返事はなかった。

イスが後ろにウイーンと倒れて口の周りだけ穴の空いた布をペラっと乗せられ、そういうAVあるよね、デジャヴ。と思った(実際にあるのかは不明、だいたい私の妄想)麻酔が効いてきて、感覚も意識も麻痺して、精神世界に突入した。的なこと言ってみたかったけど。実際は、歯が抜かれるのを嫌がってグギュギュ‼キュウッ…キュウッ‼と泣き叫ぶも、虚しくつまみ出される様子を聴神経で感じていたよ。伝わってたよ、最期の叫びが。

さっきまで私の中にいたのに、出てって、もう二度と戻らないんだね。そんなに泣くなよ、寂しいのはお互い様なのさ。

それから厚いガーゼを噛まされて、うがいを二回で止められて、防腐剤みたいな薬を飲んでその日はおしまい。ちなみに今も防腐剤飲んでます。何かが腐ってはならないので。

 

冷夏とのこと

今年は冷夏らしいよ。梅雨が長引くってさ。例年と降雨量は変わらないけど、濃度が薄くて期間が長いらしい。毎日少しずつ降って…そんな感じ。

夏の営業さんが語る。お弁当持参してカウンター席で一人で食べてる私は、背中で聞いている。最後の夏だ。今年が最後じゃなければ次の最後は十年後にやってくるだろう、が。19歳の時も同じこと考えてた。最後の夏だ。21歳の私は存在しないはずだった。たぶん来年も夏を迎えてしまうだろう。

夏が好きだ。けれど今年で終わりだ。それなのに冷夏。夏の意味がない。夏が好きだ私は。日差しが強くて、ハンカチーフのよーにフニャフニャでペラペラの服を着て、汗かいて、ぼんやり遠くを見ている。ときどき熱い風が吹くけれど、なんの慰めにもならない。さらに汗をかく。しかし草木が青々として、空が遠くにある。朦朧とした意識の中で、かつて私にもあった夏休みのことを思い出す。健康だから楽しかったのかな?まあいつもいつでもそんなに賑やかな人生じゃなかった。だいたい一人でいたような気がする。それなのに毎日ときめきがあった。自由じゃなかった。うん。手を伸ばせば届く距離にある自由、穴が開くほど見ていた。それが楽しかったのかな?

自由を手に入れて久しいけれど、毎年夏が来れば、不自由だった夏の日々を思い出す。探さずともそこに自分の居場所が用意されていたことを。

2ヶ月

そしてジャムの蓋が開かずに2ヶ月が経過した。マーマレードジャムだ。必ずしも食パンにジャムを塗って食べなければならないわけではない。だが私は不死身ではない。できる食事の回数は限られている。なるべくすべての食事が納得のいくものになればよいと願っている。だからこそジャムの乗っていない食パンを朝食にすることは憚られる。そう。それで気が付けば2ヶ月、朝食を摂らず、冷凍庫には食パンを2枚眠らせたままにしている。何しろ開かないのでね蓋が。

009です\(^o^)/ジャムの賞味期限、長いからまだまだいける。

 

 最近なめくじを飼っている。好きで飼ってるわけじゃない。スーパーで買った白菜に付いてきた。元いた場所へ帰してこようとラベルを見たら“生産地:茨城県”の記載あり。そりゃ無理ですなと諦めて、部屋で飼うことに決めたんです仕方なく。名前はなめ郎。はじめのうちは2cmくらいしかなかった体長も、2ヶ月経てば倍の4cmになった。単純計算でいくと7月には8cmになり、9月には16cm、11月にはなんと32cmに。小さなフライパンでは、もう焼くことができません。(長すぎて)

特にこれというエサはなく、今のところは夕食に使った野菜の切れ端を与えている。何を与えても文句一つ言わず黙々とよく食べる。日に日に食べる量が増して、急激な成長を感じている。食べると腸が透けて見えるのか、にんじんを食べた日は橙色、ブロッコリーを食べた日は体色が緑色になる。眠っている間は左右どちらか片側の触覚だけを小さく出して、ギュッと縮んで丸くなっている。起きると両側の触覚をアンテナのように張り、タッパの中を這い回り、適度に運動したのち野菜を舐める。ネット記事によるとトマトは毒になるが、それ以外は野菜だけじゃなく肉や魚、虫でも食べるとのこと。グルメなナメクジに育て上げたい気持ちはあるけれど、肉食文化はなるべく避けて通らせたい。まったくわがままな話なのだが、私自身は肉を食べるくせに自分の管理下にある生物には穢れなきフンをしてほしいという願望がある。まあ100歩譲ってなめ郎が肉食を希望した場合には手始めにシーチキンなど与えないこともない。(何歩譲ってもなめ郎がこちらに対し働きかけることはなかろうが)

 

なめ郎のお腹

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先日29歳になった。よく生きたと思う。夢や趣味、輝くものがひとつでもないなら生きてる意味ないなんて想像力のないこと言う人、この年になっても周りにたくさんいる。知見が狭いんだよね。

意味を決めるのは自分なのだから他人の人生に言及せんでよろしい。あと私は生きてる意味特にないです。なぜか生まれたから、死なないように生きているだけ。何も残さないならせめて、他人に親切でいようとは思います。アデュー。

 

神の計らい

ウーン…
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最近ハマっているのはZOZOアプリのバグ画面をスクショすること。いつ開いてもランダムなしましまで、見る者の目を楽しませてくれるよね。なんでもないような日々が幸せだったと思える未来は来るのだろうか?イヤ、来ん。幸せは意図して築くものであり、振り返ればそこにあるものではないからです。振り返ったとき良い人生だったと思いながら死にたいけれど、死ぬときは一瞬だから色々考えてる暇ないんだろうな。流れ星だってそうだよね。流れてる間に願い事を3度言えたら叶うって、暗にそんな上手い話はないですって示されてるようなものじゃないのよー。備えあれば憂いなくなるんだろうよ。うちのおじいちゃんは起業家で、成功のコツを聞くと段取りが命と言ってた。よく成功者が基礎の基礎として初めに語ることだ。要は常に備え、チャンスを逃すなということだな。たとえば予め流れ星を待ち伏せして、時が来れば見えなくなるまでに早口で3度願い事を言えるだろう。けど、いつが時なんだ?!それが分からん。文系だからか?文系だから分からんのか?起業家じゃないからかな?アホなので、分からん。とにかく、願い事は叶わん。相変わらず自分が何を嘆いているのか分からんな。世の中のことが全体的に分からん。どうも009です\(^o^)/こんな深夜に書けば書くほど調子付いてまいりましたわ。

何書く?最近のこと?最近は仕事の質と量がヤバく家に帰ったら靴を履いたままヘナヘナと座り込み、涙をポタポタ落として玄関を大きな池にしてましたが、先日振込の給与にガッツリ反映されていたので、余剰のお金で美白フラッシュみたいな光(?)を顔に浴びたり、メガネを新調したり、ゾゾタウンでマイサイズの服を買ったりしてプラマイ→マイの状態に舞い戻ってしまいましたね。えっ?なんや?この人生ゎ。うまく言えないけど、精神状態はプラマイゼロです。

身体機能の話も聞いとく?5年前に行ったお試しエステサロンのお姉さんに言われたんだよね「あなたの身体、鍛えなければあと5年で動かなくなります」と。そのときはそれでいーやと思ってたんだけどね。今もそれでいーやと思ってるフシがありまして、放置しておりますと、言われたことを実感とともに理解する日々の連続となりました。いやこの話はもういーや。記憶の障害復活してるし心臓チクチクしてる感じある。今日突然親知らずのあった場所の歯茎がはがれた。わけがわかんないよね。貼って剥がせるシールなのかな?身体すでに死んでるけど魂が生きてるから操縦できてるのかな?肉体はねー、そもそも借り物の容れ物なのでね、レンタル期限を過ぎるとだんだん耐久性低まって少しずつ部品だめになって動かなくなるんだよね。うんその設定でいこう。もしそうだとしたら最後まで生きているのはどの部位だと思う?それともやっぱり、魂だけが生き残るのかな?強靭な魂の容れ物に、この肉体は合ってないよーな気がするよ。目を離すと人間はすぐ無理しちゃうから、あえて脆いボディを与えたってわけなのか?おお神よ。粋だぜ。

のぞみ

夜行バスではだめだ、夜の新幹線でなければ。夜の新幹線に乗って窓辺をぼんやり眺めてほしい、背もたれに沈み込んで。見ていてほしい、光が伸びて線になる街の残像を。かつてそんな日があったような気がしてやすらぐ。頻繁に死について想像するけれど、不思議と生きた心地がするのだ窓を覗いていると。メリーゴーランドに乗っているような、乗っていること以外何も気にしなくていいような。新大阪で降り忘れてはならないが。過ぎ去り途切れる光の線が、たとえば私にとっての過去だったとする。今見えている残像も、いずれ途切れてしまうだろうが、今見えているものが私のすべてだ。連続する。連続して、線が重なって、気付かないうちに途絶えて、また始まって、停車駅が近づくと整列されたライトの光が差し込んでふと我に返る。新幹線が走行する間、思い出す私が存在した。この瞬間もぶつ切れた2つの光線の間。過去の私と現在の私は共通の過去の延長線上に立っているわけではなく、途切れた線の繋ぎ目を跨いでお互い離れた点に立っている。飛行機じゃだめなんだ観覧車じゃだめなんだ、のぞみでなければそれは分からない。