009-009

エスゾピクロンの散歩

あのね帳より抜粋

以下1996年(小学一年生の頃)のあのね帳より抜粋

 

せんせい、あのね、きょう、みにとまとがとれました。あかいみになっていました。おいしそう。もってかえります。6/27

 

せんせい、あのね、きょう、ほけんしつでおちゃとぎゅうにゅうのはなしをきいたよ。じゅーすはよくないのです。あまいからです。7/1

 

せんせい、あのね、きょう、おとうとのたんじょうびです。おとうとは、おおきいです。おとうとは、4さいになりました。7/5

 

せんせい、あのね、きのうから、あめばっかりでした。かたつむりも、かえるもいないから、いえであそびました。7/10

 

せんせい、あのね、きのう、がっこうの、かえり、くさに、かたつむりがいました。でも、からはよわかったです。それで、どろんこで、かわいそうでした。7/11

 

せんせい、あのね、きのう「キーホールダー」をかってもらいました。あけたらすごくきれいでした。9/17

 

せんせい、あのね、火ようびにふうせんをもらって、きのうの水ようふうせんが、いつのまにかなくなっていました。9/25 ■どこでもらったふうせんでしたか。おそらがこいしくて、とんでいったのだとおもうよ。

 

先生、あのね、土ようびのやすみの日のことですが、わたしのおばあちゃん、がくる日です。とってもたのしみです。10/22

 

せんせい、あのね、土ようびおばあちゃんがきて、かえってしまいました。とてもかなしいです。10/27

 

先生、あのね、きょう、先生が、こなかったからさみしかったよ。どうしたのかな。びょうきかな。早く、きてね。10/29

 

きのうそうだんしてみたんけですけど、わたしはテレビにでたいから、ひるに、やってるテレビに「え」のことでおうぼしようとおもいます。すごくたのしみです。1/29

 

きょう、「うらないカード」っていうものをつくりました。みんなたのしんでやってくれるから、わたしもうれしいです。2/10

三徳包丁 パッケージ 開け方

結局分からなくて、美しいパッケージを手持ちの工作バサミでズタズタに切り裂いて、おもむろに包丁を引きずり出してひとしきり泣いたあと、試しに羊羹を切ってみた。ものの良し悪しに敏感な方ではない。けどとにかく新しいものは良いなと思う。私は新しいものが好きだ。それを知った。三徳包丁の三徳は、肉・野菜・魚の三つの用途を示しているらしい。羊羹は含まれていない。

三徳包丁 - Wikipedia

私009、生粋のシティーガール。ガールの定義については誰も調べるな。閑散とした夜のビル街のある一室で人知れずダイソーvivo Villeroy & Boch Group ナイフシリーズキャンペーンシールを今日まで一途に集め続けた。300円で1枚もらえるケチなシールをMAXの35枚まで貼り終えたので、早速景品の引き換えに最寄りのダイソーさんへ行ってきた。ちなみに、引き換えには600円+税が必要。ホントか?そんなにほしかったのか?!三徳包丁。(定価2800円)良いカスタマーです。持ち帰る途中、暴漢にタックルされてピンチになっても、今の私ならこのvivo Villeroy & Boch Group 三徳包丁の力(物理)できっと乗り越えられるという強めな気持ちにさせてくれた。常日頃から包丁を持ち歩く人の気持ちが分かる。しかし、その壁は乗り越えないでおこうと思う。

私事で恐縮だが、というかすべての話題が私事で恐縮なのだが、先日ひとつのSNSを退会した。ミクシーじゃない。ミクシーはまだある。ときどき全然知らん人から「コミュ荒れてますよ!黒以外の色を着た人が写真を投稿していてむかつきます!ルールは守ってほしいものですね!!」と格安航空会社ピーチの投稿に毎度コメントするサクラおじさん調のメッセージを受け取ったりするので、(ので、ではないが)まだ存続します。ちなみに私は黒服ファッションコミュニティの名ばかり管理人をやっている。ほぼやっていないが。

やめたのはツイッターで、その理由が
f:id:nikolog:20180730234046j:image

ツイッターをやっててどうだった?の問に対して
f:id:nikolog:20180730234115j:image

という経緯だがひとつの排気口を失ったことに変わりはないのでこの「人に言うほどでもないが」の話を飽きるまで延々とこのブログで話していきたいと思う。ブログやっててなんだが私は他人のブログをほとんど読まない。あまり他人に対して興味が湧かない。これを読む人、どうして読んじゃったんですか?もしかして私の生活が好きですか?それとも命目的?人は意外と目的なくふらふら漂うことが多い生き物だと知っている。だから本当はこんな質問はナンセンス。気にせず読んでセンテンス。ケイトブッシュの歌声って、聞いてるだけで暇で豊かな気持ちになれる。金も時間もない時に聴くと音を立てて現実からベリベリ引き剥がされ、強制的に暇で豊かな気持ちにさせられる。ケイトブッシュ、私を重力から解放してくれる。いい人です。誰かに足りない何かを、私の持ってるどれかで埋めることができたら、次のパズルに掛かれるようになるんだ。君のピースになれたらいいな。今度は私がベリベリ引き剥がしてあげる。そのために私はアウトプットをやめない。いや、分からない。好きな時にやめます。

誤って洗濯機に食器を放り込み気付かず洗い終えてしまう

夏のNO味噌フル稼働。0に0を掛けても永遠の0であるからエアコンなしで部屋干しをして「異常に蒸し暑いね、また梅雨かな」と鳥に話し掛けている。鳥は相変わらず「ぴょお」と鳴いておとぼけた顔をしている。009です。エアコンの存在を思い出し、快適な夏を過ごそう。

去年くらいまで夏は毎年、東奔西走し破産寸前まで遊び歩いたような記録がそこかしこにデジタルタトゥーされているわけだが今年はそうでもない。若い世代のみなさんに告ぐ、アラサーはとてもアンニュイな時代であると。アンニュイの言葉の意味を雰囲気でしか汲み取れないなら今すぐグーグってください。そして今後使用する単語の意味を毎回グーグってから公にアウトプットしてください。なんとなくで使っていた言葉の正しい意味を知るのはなかなか面白いですよ。突然教育委員会。使用する言葉の意味をいちいちグーグってからアウトプットする人同士のやりとりだけが正確で、あとはホンマにでたらめな世の中やねん。俺だけが本物やねん。なんかそんなキャプチャ画像あったよね。

アラサーの具体的なアンニュイ・ポイントは肉体。肉体が実にアンニュイな状態になってしまう。あと表情、無表情。おかしくても悲しくても能面。表情筋に力が入らんガハハ(目は笑ってない)。私の生き甲斐、外へ出て日に当たり風を受けることなんですがそれも今や3時間でギブ。それ以上外にいると切込み入れずにずぼらに炒めたウインナーのように心身諸共弾け飛んでしまう。この話は本気にしないのがあなたのためです。実際そこまでいかなくても眠気と倦怠感がマッドマックス(行って、また帰ってくること)になってしまうので非常にアンニュイ。つまり、マッドマックスの不在時間が長いあなた方は今のうち、やりたいこと、やったもん勝ちなんだからね〜っ。でも破産したらその後の人生に諸行無常の響きがあるので金銭感覚だけはバグらないでください。なんだこの記事、ババ臭いな。夏のせいか?もっぺんシャワー浴びて来な!

世界が終わる夜に

今朝上裸で踊っていると突然轟音が響き渡り、乗って立つだけブルブル振動マッサージのように容赦ない揺れが突拍子もなく来た。寝室の鳥かごに一目散に飛び付いて、揺れが納まったらそれをそっと足元に降ろした。とっさの判断で身分証明書と印鑑をカバンにつっこみ家を出た。今日のところは役に立たなかった。電車は全線動かず、仕方ないので徒歩で2駅先の職場へ向かった。御堂筋の道路沿いに白黒のスーツを着た男女や黄色人種の旅行客なんかがずらっと並んで座り込んで、みんなどこかへ電話しているようだった。近いだろうと思って歩いた30分が意外と遠く、電車への感謝とラブをここに表明。

案外というか当然というか職場には人がほとんどおらず、到着しただけで上司らから讃えられ、褒められた。そんな下心はなかったのに。

本震は明日、明後日のうちに来るだろうと家族や友人、同僚から耳にタコができるほど聞いたので覚悟はできている。今晩の私は一味違う。浴槽一杯に水を張り、炊いたご飯を次々冷凍した。非常時持ち出し用バッグに物を詰め、ベッドの下にはいつものスニーカーも設置した。モルフォ蝶の標本をプチプチに包んだ。カワイイ服やカワイイ鞄、カワイイ靴は非常時なんの役にも立たないって知ってた。けど集めてた、カワイイ物の使命はただカワイくあることだと思うから。彼女らはもう寿命。全部捨てていくんだ。大事なものなんてほとんどないって自分で知ってた。死にたい死にたい言う割に、他者から奪われるのは気に食わなくて、つい抗ってしまう。私は嫌いなんだ。決めた通りに進まないことが。他人の都合で予定を遅らされたり、台無しになっちゃうことが。だから殺人も嫌いで自然災害も許せない。私の決めた通りに生きたい。この日と思う日にバッチリ死にたい。私の邪魔をするなら相手が何だろうが抗ってやるぜ、ソイヤ!ソイヤ!そんな心意気でございます。生きてる前提で組んでるスケジュール、死んだらなくなっちゃう。そんなの許せる?無理です!世界が終わる夜に作って食べたトマトリゾットの味、現世最後のきらめきになり得るなんて、そんなの、そんなの…!なんとなく死を付き飛ばしたり受け入れたりして揺れる思い。明日はどっちだ。

変わって

今日(先ほど通り過ぎた一日)は高校生の頃勝手に好意を寄せていた男の子の誕生日でありました。生きていたとしても彼は男の子ではなく普通のおっさんであることでしょう。私がおばはんであるのと同様に。時は流れていくのです。

ほとんど真っ直ぐに切り揃えられたつやつやの前髪もその下にあったビー玉のような無感動な瞳も真面目なカラーのエナメルバッグもウエストまで上げた千鳥格子柄のパンツも白いスニーカーも今は昔、もしくは私の妄想だったのかもしれない。今じゃない。今じゃない10年前のあの男の子を、今も好きなままでいるよ。好きな理由も分からないまま。3年間のきらめきよ、さようなら。しかし、永遠に。(ここで言う永遠は、私が死ぬまでの期間を指します)

 

今日はおじいちゃんに会いに行った。当方のコミュニケーションスキルは本日も壊滅的であったため、ほとんど無言のまま面会を終了した。おじいちゃんの部屋には過去数十年分の写真が所狭しと散りばめられており、静かなのに非常に賑やか。二十数年前の私の写真を指差し「私の孫…この頃は可愛かったねえ」と話しかけられ、とっさに「おじいちゃん。これは私だよ」と確認する。ああそうだったねえと曖昧に笑ってぼんやり壁を見つめている。私は何を言っているのだろうか。まさか今も可愛いかどうかなんて確認しようと?こんな弱ってしまったおじいちゃんに、まだおじいちゃん性を求めていたのです。いわゆるジジみです。ジジみを求めていたのです。自身のバブみに気付き俯いている間に、何も言わず立ち去ってしまったおじいちゃん…おじいちゃん、すみません。

おじいちゃんはなんだかすべてを忘れ続けているようで、いけないことではあるけれど、そのことに救われる。過去の私と今の私を結び付けられなくなってしまったおじいちゃん。かつて特攻隊員であった強いおじいちゃん。立派に働き、政治経済株経営の話に花を咲かせていた賢いおじいちゃん。初孫の誕生に踊って喜んだ可愛いおじいちゃん。絵も字も上手いし料理も上手い、囲碁も将棋も麻雀も負けない、できないことの方が少ない器用なおじいちゃん。大学生になったら部屋を譲ってあげようと、私が幼少の頃から言って聞かせたおじいちゃん。この子は大物になるぞと声を上げたおじいちゃん。ひ孫の顔が見たいとぽつりと言ったおじいちゃん。

叶えられないことばかりで、会うたびに私を忘れていく彼に対してどうかこのままと願わずにいられない。ついに現状について質問されなくなったとき、安堵と、どこか高い場所から飛び降りたい気持ちが同時にやって来て、心がペチャッとなってしまった。彼は私の全承認欲求の矛先でありました。しかし今はそれさえも過去です。

好きな人たちが変わっていくことは執着から開放されることだと思う。君たちが生きている間に、あと何度君たちの葬式をしなければならないのだろう。こうやって何度も人を見送って、私だけがいつまでも同じ世界で生きているみたい。

きらめきよ、さようなら。しかし、永遠に。

 

定期健康診断へ行ってきた。決まって休みの日に受診するんだ。これこれこういう理由で何時間抜けますとか、有給を取らせてくださいとか、会社の人に伝えるのが億劫だから。他人に伝わるように頭の中で文章を組み立て、タイミングを見計らい、立ち姿を決め(予め立ち姿を決めておかなければ両手の位置とか困ってォョォョしてしまうんだ)笑顔を作り一言一句漏らさずアウトプットする。許可を得る。笑顔で礼を言って違和感なく席へ戻る。それがとても大変だから。だから休みの日に定期健康診断へ行くんだ。分かった?

レントゲン写真が変だった。他はまあ問題ない部分は問題ないし、異常な部分は異常なままだった。けどレントゲン写真が変だった。ブレブレなの。明らかにブレて骨の本数倍になってるのに医者「見た感じ異常ありませんね」って言ってる。骨が倍じゃん。なんで?あと思ったより心臓大きくて汗かいた。でも私ってあれじゃん会話すればするほど事態をこんがらがしてしまうタイプだから、だから汗かきながら「なるほど」とわかった風なコメント残しといた。いかに私という個体が時代に依存する一過性の微小な存在であるか知らしめさせられたこの頃であったよ。だけどどうせ死ぬのにレントゲン写真撮ってくれてありがとうな。レントゲン技師ありがとうな。

汗といえば採血もビビったな。黒いのよ血が。彼岸花みたいに透明感があって真っ赤なやつイメージしてたのに残念ながら黒いの。毎度のことながら、毎度ビビるね。内臓とか、骨もそうだけどビジュアルがマズいんだよね。中2のとき美術の課題を徹夜でやってたら間違って彫刻刀で親指の付け根彫っちゃったんだよ。すると液体固体色々出てきてコンニチハってすったもんだがあったもんだがどういうわけか冷静で、まともな理性をもって「これを全部引っ張り出そう」とひらめいた夜があったんです。私はね信じられなかったんだよ。自分が袋であり、中身が詰まっていることを。理科の授業で習ってはいたけれど、なぜか、私にはないと思い込んでいたのだよ。というとライチ☆光クラブを連想されるかもしれないけれどそんなこともない。私はただ、自分の身体が切っても切っても金太郎飴みたく表面と同じ色をしていればいいなと願っていたんだ。変だね。それなのに液体固体大豊作ときたものだから気に入らなかった。それで、この切れ目から全部引っ張り出して空っぽにしようと、まともな頭で考えたんだ。痛すぎて、あと眠すぎて無理だったんだけど。(そういう問題でもないような?)

今でも断面図とか血液とか見せられると思う、引きずり出して空になりたいと。私の理想となんか違うから。そういう話。

黄金糖

母方のおじいちゃんは黄金糖とスナックパン

母方のおばあちゃんはキラキラのパンプスとお裁縫

父方のおじいちゃんは都こんぶと小指の長い爪

父方のおばあちゃんはオロナインH軟膏とだし巻き卵

 

誰の形見もないのに。百均で、薬局で、買わないのに手に取って原材料の欄なんか読む。今じゃなくあの日のことをもう一度思い出せるから。ロングセラー商品って良いなって思う。黄金糖や都こんぶのリピーターなんているのかな?いないと思う。それなのに。今日も百均で、薬局で、買わないのに手に取って原材料の欄なんか読む。黄金糖がある限り、私の中で生き続ける。