009-009

エスゾピクロンの散歩

世界が終わる夜に

今朝上裸で踊っていると突然轟音が響き渡り、乗って立つだけブルブル振動マッサージのように容赦ない揺れが突拍子もなく来た。寝室の鳥かごに一目散に飛び付いて、揺れが納まったらそれをそっと足元に降ろした。とっさの判断で身分証明書と印鑑をカバンにつっこみ家を出た。今日のところは役に立たなかった。電車は全線動かず、仕方ないので徒歩で2駅先の職場へ向かった。御堂筋の道路沿いに白黒のスーツを着た男女や黄色人種の旅行客なんかがずらっと並んで座り込んで、みんなどこかへ電話しているようだった。近いだろうと思って歩いた30分が意外と遠く、電車への感謝とラブをここに表明。

案外というか当然というか職場には人がほとんどおらず、到着しただけで上司らから讃えられ、褒められた。そんな下心はなかったのに。

本震は明日、明後日のうちに来るだろうと家族や友人、同僚から耳にタコができるほど聞いたので覚悟はできている。今晩の私は一味違う。浴槽一杯に水を張り、炊いたご飯を次々冷凍した。非常時持ち出し用バッグに物を詰め、ベッドの下にはいつものスニーカーも設置した。モルフォ蝶の標本をプチプチに包んだ。カワイイ服やカワイイ鞄、カワイイ靴は非常時なんの役にも立たないって知ってた。けど集めてた、カワイイ物の使命はただカワイくあることだと思うから。彼女らはもう寿命。全部捨てていくんだ。大事なものなんてほとんどないって自分で知ってた。死にたい死にたい言う割に、他者から奪われるのは気に食わなくて、つい抗ってしまう。私は嫌いなんだ。決めた通りに進まないことが。他人の都合で予定を遅らされたり、台無しになっちゃうことが。だから殺人も嫌いで自然災害も許せない。私の決めた通りに生きたい。この日と思う日にバッチリ死にたい。私の邪魔をするなら相手が何だろうが抗ってやるぜ、ソイヤ!ソイヤ!そんな心意気でございます。生きてる前提で組んでるスケジュール、死んだらなくなっちゃう。そんなの許せる?無理です!世界が終わる夜に作って食べたトマトリゾットの味、現世最後のきらめきになり得るなんて、そんなの、そんなの…!なんとなく死を付き飛ばしたり受け入れたりして揺れる思い。明日はどっちだ。

変わって

今日(先ほど通り過ぎた一日)は高校生の頃勝手に好意を寄せていた男の子の誕生日でありました。生きていたとしても彼は男の子ではなく普通のおっさんであることでしょう。私がおばはんであるのと同様に。時は流れていくのです。

ほとんど真っ直ぐに切り揃えられたつやつやの前髪もその下にあったビー玉のような無感動な瞳も真面目なカラーのエナメルバッグもウエストまで上げた千鳥格子柄のパンツも白いスニーカーも今は昔、もしくは私の妄想だったのかもしれない。今じゃない。今じゃない10年前のあの男の子を、今も好きなままでいるよ。好きな理由も分からないまま。3年間のきらめきよ、さようなら。しかし、永遠に。(ここで言う永遠は、私が死ぬまでの期間を指します)

 

今日はおじいちゃんに会いに行った。当方のコミュニケーションスキルは本日も壊滅的であったため、ほとんど無言のまま面会を終了した。おじいちゃんの部屋には過去数十年分の写真が所狭しと散りばめられており、静かなのに非常に賑やか。二十数年前の私の写真を指差し「私の孫…この頃は可愛かったねえ」と話しかけられ、とっさに「おじいちゃん。これは私だよ」と確認する。ああそうだったねえと曖昧に笑ってぼんやり壁を見つめている。私は何を言っているのだろうか。まさか今も可愛いかどうかなんて確認しようと?こんな弱ってしまったおじいちゃんに、まだおじいちゃん性を求めていたのです。いわゆるジジみです。ジジみを求めていたのです。自身のバブみに気付き俯いている間に、何も言わず立ち去ってしまったおじいちゃん…おじいちゃん、すみません。

おじいちゃんはなんだかすべてを忘れ続けているようで、いけないことではあるけれど、そのことに救われる。過去の私と今の私を結び付けられなくなってしまったおじいちゃん。かつて特攻隊員であった強いおじいちゃん。立派に働き、政治経済株経営の話に花を咲かせていた賢いおじいちゃん。初孫の誕生に踊って喜んだ可愛いおじいちゃん。絵も字も上手いし料理も上手い、囲碁も将棋も麻雀も負けない、できないことの方が少ない器用なおじいちゃん。大学生になったら部屋を譲ってあげようと、私が幼少の頃から言って聞かせたおじいちゃん。この子は大物になるぞと声を上げたおじいちゃん。ひ孫の顔が見たいとぽつりと言ったおじいちゃん。

叶えられないことばかりで、会うたびに私を忘れていく彼に対してどうかこのままと願わずにいられない。ついに現状について質問されなくなったとき、安堵と、どこか高い場所から飛び降りたい気持ちが同時にやって来て、心がペチャッとなってしまった。彼は私の全承認欲求の矛先でありました。しかし今はそれさえも過去です。

好きな人たちが変わっていくことは執着から開放されることだと思う。君たちが生きている間に、あと何度君たちの葬式をしなければならないのだろう。こうやって何度も人を見送って、私だけがいつまでも同じ世界で生きているみたい。

きらめきよ、さようなら。しかし、永遠に。

 

定期健康診断へ行ってきた。決まって休みの日に受診するんだ。これこれこういう理由で何時間抜けますとか、有給を取らせてくださいとか、会社の人に伝えるのが億劫だから。他人に伝わるように頭の中で文章を組み立て、タイミングを見計らい、立ち姿を決め(予め立ち姿を決めておかなければ両手の位置とか困ってォョォョしてしまうんだ)笑顔を作り一言一句漏らさずアウトプットする。許可を得る。笑顔で礼を言って違和感なく席へ戻る。それがとても大変だから。だから休みの日に定期健康診断へ行くんだ。分かった?

レントゲン写真が変だった。他はまあ問題ない部分は問題ないし、異常な部分は異常なままだった。けどレントゲン写真が変だった。ブレブレなの。明らかにブレて骨の本数倍になってるのに医者「見た感じ異常ありませんね」って言ってる。骨が倍じゃん。なんで?あと思ったより心臓大きくて汗かいた。でも私ってあれじゃん会話すればするほど事態をこんがらがしてしまうタイプだから、だから汗かきながら「なるほど」とわかった風なコメント残しといた。いかに私という個体が時代に依存する一過性の微小な存在であるか知らしめさせられたこの頃であったよ。だけどどうせ死ぬのにレントゲン写真撮ってくれてありがとうな。レントゲン技師ありがとうな。

汗といえば採血もビビったな。黒いのよ血が。彼岸花みたいに透明感があって真っ赤なやつイメージしてたのに残念ながら黒いの。毎度のことながら、毎度ビビるね。内臓とか、骨もそうだけどビジュアルがマズいんだよね。中2のとき美術の課題を徹夜でやってたら間違って彫刻刀で親指の付け根彫っちゃったんだよ。すると液体固体色々出てきてコンニチハってすったもんだがあったもんだがどういうわけか冷静で、まともな理性をもって「これを全部引っ張り出そう」とひらめいた夜があったんです。私はね信じられなかったんだよ。自分が袋であり、中身が詰まっていることを。理科の授業で習ってはいたけれど、なぜか、私にはないと思い込んでいたのだよ。というとライチ☆光クラブを連想されるかもしれないけれどそんなこともない。私はただ、自分の身体が切っても切っても金太郎飴みたく表面と同じ色をしていればいいなと願っていたんだ。変だね。それなのに液体固体大豊作ときたものだから気に入らなかった。それで、この切れ目から全部引っ張り出して空っぽにしようと、まともな頭で考えたんだ。痛すぎて、あと眠すぎて無理だったんだけど。(そういう問題でもないような?)

今でも断面図とか血液とか見せられると思う、引きずり出して空になりたいと。私の理想となんか違うから。そういう話。

黄金糖

母方のおじいちゃんは黄金糖とスナックパン

母方のおばあちゃんはキラキラのパンプスとお裁縫

父方のおじいちゃんは都こんぶと小指の長い爪

父方のおばあちゃんはオロナインH軟膏とだし巻き卵

 

誰の形見もないのに。百均で、薬局で、買わないのに手に取って原材料の欄なんか読む。今じゃなくあの日のことをもう一度思い出せるから。ロングセラー商品って良いなって思う。黄金糖や都こんぶのリピーターなんているのかな?いないと思う。それなのに。今日も百均で、薬局で、買わないのに手に取って原材料の欄なんか読む。黄金糖がある限り、私の中で生き続ける。

かがやき

高校時代、3年間付き合ってたカズって男の子がいた。あるとき事情が重なり彼との交際と通学のどちらかを選べと親に迫られて、即答できなかった。結局、自分で学費や食費を工面しながら交際を続けて良い(と言っても会ってはならない。謎)ことになったんだけど。それで今およそ10年が過ぎあの頃とは全く違う環境の中で生きてる。当然隣にカズはいない。今は2児の父らしい。実は卒業間近に「俺は他の女と結婚することになったんだ」と振られてジ・エンド。謎めき過ぎているけれど、今やそれもどうでもいい。

カズのことを好きとか嫌いとは思わない。それは卒業間近のあの日や今日も。たぶんこれからも好きとか嫌いとは思わない。カズにはたくさん酷いことをしたし、彼の仕打ちも相当効いた。チャラにしようやとまではいかないけれど、どうしてもカズを憎むことはできない。

どういう理由か忘れたがカズが私の両親に呼び出された日があった。何かしらで怒りに触れたのだと思う。私の同席はもはや大前提とされていたが、あの気まずい空間がなんとも苦手で…私は部屋を飛び出して、一人で外へ出かけてしまった。部屋に取り残された両親。後にやって来るカズ。

あのとき本当は「今日は009が逃げていないから、後日にしてもらってかまわない」と両親が断りを入れたそうだが、カズは一人でもと言って、きちんと話を聞いて帰っていったらしい。

カズに男親はいない。

お母さんと二人暮し。母子家庭に育った。かなり小さい頃に両親が離婚したらしい。つまり、カズは男親がどういうものかを知らない。

まだ16歳で、男親がどういう存在なのかも分からない、それなのに。まして交際相手の父親と母親から同時に詰め寄られる恐怖はどんなに大きかっただろうか。本当にかわいそうな思いをさせてしまったと反省している。今思ってももう意味がないけれど。

 

「僕だけでも話を聞きます」と私のために一人で立ち向かってくれた日のことを10年経っても忘れない。彼のことは今日も好きとか嫌いとは思わない。ただあの日のことが、彼のあの真心だけが結晶化して、私の中のカズになっていく。

これからも人を好きとか嫌いとは思わない。それでもあなたとのただひとつの思い出だけが、私の中にずっとかがやき続ける。人に対する思い入れとは、たいがいそういうものなのです。

内科でレボリューション

内科に行ったらうつ病が半分治ったわ。もしかするとこれまでうつ病だと思ってたものの半分がうつ病とは無関係な病気だったのかもしんないわ。

うつ病と一口に言っても私のうつ病は完治した!ハッピーライフを謳歌!と忘れかけた頃にまた突然撃ち落とされて死ッピになって(再発して)しまうという山あり谷ありなもの。リズムがあるんだね。そんなときは何もかも放ったらかしてヒキニートになりたいものだが実際問題なんやかんやてんやわんやでそういうわけにもいかないので、応急処置として定期的に心療内科に通っていた。心療内科で貰った薬はどれも相性が悪く続かないので部屋がどんどん薬の墓場になっていく。あと単に医者と意思疎通するのも苦手だ、偽造楽勝なあの胡散臭いペーパーテストも嫌いだ。でも心療内科へ通うと気持ちが少し軽くなる。病気になったら病院へ通う。社会人として、やるべきことをやったような達成感が得られて心によいのだ。

それがどうだろうつい最近精神がズシーンと来て布団から一歩も出られないほどグラビティが強くなった日があった。いつものうつより発熱・頭痛・嘔吐・めまいがひどく身の危険を感じたがいつもの心療内科へ赴く体力もなく、取り急ぎ近所の内科へ駆け込んだ。(駆け込んだとは言え布団から這って出たし着替えたり髪の毛をアレするだけでも2時間、現場に向かうにもカタツムリのような速度で歩き、信号待ちの度にそこかしこにしゃがみ込んでだいぶ時間がかかった)するとあっさり別の病名を言い渡されて、30秒ほどの診察のあと4種類、適当な薬を手渡されさっさと追い出された。当たり前のことかもしれないけど、心療内科とは違いテストやカウンセリングが無いぶん診察代が激安!驚いた。え?ええ〜?これだけ?という不慣れな戸惑いがあったが医者は医者だし偉大だしと信用して薬を飲み始めること3日。落ちた気持ちは相変わらずでも身体は超回復し、今や完全にアンチグラビティ状態。バク宙オーケー。嘘、バク宙は無理です。メンタルはさておきフィジカルの状態が一気に良好に。メンタルもつられて上昇中。これまでの心療内科でのゆとり治療はなんだったのかと思わざるを得ない。

恋の傷は恋でしか癒えないとはよく言ったものだが体調不良の原因がメンタルによるものだからといって、いつもいつでもメンタルから底上げするのが正解とは限らない。ときには原因がメンタルでも、身体の不調は内科だな〜っと切り離して考えることも必要だと分かりました。あと人望がないなら無いなりに一人でも生きていけるように多角的な視点を持つことが必要だと分かりました。21世紀は内科でレボリューション。お試しあれ。

 

話変わんないけど過去は耐えられたレベルのストレスが今襲ってきたら即死してしまう。そんな時、心にも体力があるんだなと感じる。私はもう27だけどまだ27なんだ。まだ27なのに身体ガタガタで心ヨボヨボ。実質もうお婆ちゃんなのね。それだからなんだというとですね、これから先二度と経験することの無いような鋭い痛みに耐えなければならない時代が、10代後半〜20代前半の若く元気なうちに通過して本当に良かったなということです。確信できるのは、あれよりひどい環境に当たることはもうないということです。当たったとしても、理解してすぐに逃げ出せる。あれより痛むことは今後たぶんもう無いんだ。(親しい人の死とかは、これからも避けては通れないと思うけど)

だから、本当に良かったんだよね。

大正デモクラシー

アルゴリズムリアルゴールドは似ている。

灯台下暗しと大正デモクラシーは似ている。

ルームシェアとマッシュルームは似ている。

エピグラフとエビピラフは似ている。

末端冷え性とマンハッタンは似ている。

ひつまぶしとひまつぶしはもはや同じ。

何個か前の彼と名古屋へ旅行に出かけた際、店員さんに「このひまつぶしください」とナチュラルに注文した。お店の人は特に首を傾げるでもなくハイとメモを取り去って行った。そんなもんだから大阪に戻ってきて再びひつまぶしを注文するまで気付けなかった。

からあげとカラオケも似ている。

夜の屋台で「カラオケひとつ」と言い間違えたけどへいお待ち!1コサービスね!!とカップを渡してくださったんだわ。だからなんだということもないけれど自分だけが少し恥ずかしい。