009-009

エスゾピクロンの散歩

大正デモクラシー

アルゴリズムリアルゴールドは似ている。

灯台下暗しと大正デモクラシーは似ている。

ルームシェアとマッシュルームは似ている。

エピグラフとエビピラフは似ている。

末端冷え性とマンハッタンは似ている。

ひつまぶしとひまつぶしはもはや同じ。

何個か前の彼と名古屋へ旅行に出かけた際、店員さんに「このひまつぶしください」とナチュラルに注文した。お店の人は特に首を傾げるでもなくハイとメモを取り去って行った。そんなもんだから大阪に戻ってきて再びひつまぶしを注文するまで気付けなかった。

からあげとカラオケも似ている。

夜の屋台で「カラオケひとつ」と言い間違えたけどへいお待ち!1コサービスね!!とカップを渡してくださったんだわ。だからなんだということもないけれど自分だけが少し恥ずかしい。

たかが世界の終わり

たかが世界の終わり それは映画のタイトルでございまして私の人生はどうやらこれからも続いていくようです。遺伝のことを考慮してもざっとあと60年は生きてしまうことでしょう。内臓の強い家系ですのでそう簡単にはポックリ逝かなさそうなのです。それが残念なことか良いことなのかはその日が来るまで分かりませんが、いつか来るその日に怯えながら、また、待ち侘びながら今はただ、自分を生かすのみです。

たかが世界の終わり それは映画のタイトルでございます。こんなタイトル、気にならない人いる?たかが世界の終わり なんでそんなこと言うの?気になるでしょう。私、気になります。

つい先日(と言ってももう1ヶ月以上経ったか経ってないか分からない。大人になると、時間の感覚がどんどんズレていくものだと、そう思わない?)取扱いがスタートしたようなので早速ツタヤさんでレンタル。帰宅即DVD。観た日は正直、拍子抜けだな〜っとガッカリしたんだよね。タイトルのインパクトがあまりにもディープでしたわ、私には。だからこう、タイトルと内容のギャップが。

私は世界を大きく捉えていた節があったね。なんなら宇宙が消えて失くなる日、あなたは何を思う…!的なゴッツいスケール期待してたわ。けどこの映画の「世界」って「自分ひとりの人生」という意味だったんだよね。まあ言われてみりゃそれも世界だわなと納得するほかなし。想像力が足りてませんでした。つまるところ、つまらなかった。映画を観たあの日は。

だって変なんだよ。ここから先はちょっとネタバレするけどいいかな。いいよね。余命宣告された主人公が、長いあいだ接触を避けていた家族にそのことを伝える為、嫌々ながらも義務としてというか義理があるから、実家に向かうのね。で話を持ち出そうとするんだ。でも家族みんなにも一人ひとりの悩みや大きな不安があって、みんながその悩みや不安を先に主人公にぶつけてくるの。詰め寄ってくんのよ。なんとかしてよ、あなたならなんとかしてくれるでしょ?!とね。他の家族同士もどうやら仲が悪そうで、改めて話を切り出せる雰囲気でもなし…あーもーどうすりゃええっちゅうねん!たかが自分の死なんて、世界(自分の人生の登場人物)にとっては何でもないことなんですね、ハイOK!って主人公が悟っちゃいましたとさ。ただそれだけの話なんだ。なんなんだ…結局まだ世界終わってないけど話終わっちまったし、ちょっと、なんなのぉ…真面目にやってよぉ…。と思ってたんだよね。

しかしね、後々思い起こしてみるとあれは本当、ごく当たり前の、ただの現実をそりゃもう忠実に、痛々しいほどリアルに再現した、凍りつきそうに冷たいお話だったって最近気付いたんだよ。

普通さ、物語なんだから、主人公が滅多に訪れない実家にわざわざ足運ぶってことは、何かあったな…と家族の方も身構えて話を聞いてあげるモードに突入しても良くない?今までの映画だってそんな感じだったじゃん。でもあれは理想だったんだって。物語だからうまいように話がトントン進んでいくんだって。現実は…実際は、みんな自分一人が安心して生きていくために必死で、自分が見ている人・もの・景色だけが世界のすべて。そんな人同士が何人集まってもみんなが主人公一人のために建設的な話し合いをしてあげられると思う?無理無理。ないよね。みんな余裕がないもの。心も、お金も。場合によっちゃ身体もズタボロ。お前の事情なんか知るか!そんな人ばっかりだもの。そんなリアルをよく表した映画だったなと、今は感心させられる。まあ、つまらないことに変わりはないのだけどね。

誰と話しててもみんな自分の話ばっかりで、それを感情移入しながら真面目に聴き込む癖があるから何もしてないのになぜか私がへとへとになって、そんなときに、たかが世界の終わりに似通う何かを自分の生活の中に見つけて、ひしひしとあの作品の再現レベルの高さを思い知るのです。

 

いっぱいいっぱいで自分の為にしか生きられないことってある。本当は誰々にも何何してあげたいのに、それができなくなってしまうことってある。私も脆いから、そんなときは発熱して身体のどっかがだんだんバグって、大笑いしてたと思ったら、よう分からんビルとビルの隙間に入り込んでグズグズに泣いたり、吐いたり、ときどきは高いビルの屋上から下を見下ろして、想像してみたりする。頭がバグりすぎて、人を殺さなければ!という衝動に駆られ続けていたこともある。またすぐキャパオーバーしてバグってしまうだろうけど、今はなんとか自分の為に働いて、とりあえずの生活も回してて。全然余裕じゃないけど大切な人の心だけは尊重できる。その人の為なら一時的に理性的にもなれる。みんながこうして少しずつ黙り合って、我慢して、トリガー引く手を弛めることで成り立つ話し合いってあるんじゃないかな。これまでも、たくさんあったんじゃないかなって。

ここで私がひとりでワイワイ言って、今変わるのはとりあえず私だけだけど。ぶつかり合い続けていくのではなく、お互いの痛みを分かり合って、まずは痛い部分を撫でてあげること。遠回しで、無関係なことのように見えて、結局一番の解決への近道になるんじゃないかなってね。発見があり、希望が生まれましたの報告です。🐎

選挙へ

頭が痒くて目が覚めた。それは途方のない痒みで、ばりばり掻き毟って傷ができても治まらず、指先が血でべとべとになるまで延々と頭を引っ掻き続けた。変な話だが本当の話だ。それから、朝の4時にもかかわらず、私は不潔なんだと大声で叫んで、そのあと、しくしくと泣きながら何度もシャンプーをした。洗い流して、またシャンプーをした。何度も何度も。気が済んだ頃にはすっかり日が昇っていた。少し仮眠を摂っていつも通り会社へ向かった。頭皮がせんべいのように乾いて痛い。そこで初めて安心した。とっても痛いが痒くない。今夜は安心して眠れそうだなと。

その日の晩は命を狙われる夢を見た。ドアスコープを覗くと刃物を持った女が立っていた。もう夢で命を狙われることなど慣れっ子なので勢い良く開けたドアの隙間から刃物を奪い取り逃げ去った。追われてもここは私の脳内。どうとでも操りようがあるのだ。この時点で私は既に気づいていた。明晰夢というやつに。ダクトの中を難なく這い進み辿り着いたのはパパの居る部屋。ここまで来て敵の気配の消失を察した。なぜか夢の中ではパパが安心の象徴になることが多く、彼が現れたらセーフなのだ。つまり今回の夢の勝者は私。見事逃げ切ったというわけ。

はあそれがなんだって言うんだ今夜も頭が痒い。009です\(^o^)/

 

明日の予定が無いのが不安で眠れない。常にタスクに埋もれてなきゃなんない私は。空白が私を狙ってる。何かに没頭してなきゃ殺されてしまうよ私は。他でもない私にね。言ってることわかる?自分と向き合ってるときが一番苦痛だって思う、だから他の何かに目を逸らしてる。気を取られてる間に時間が過ぎてくれないかな。全部時間が解決してくれないかな。ないよな。

選挙の案内が届いてた。無知なので、選挙なんてと思ってこれまで逃げてきたけど、今回はちゃんと行こうかな。この一票が国を動かすわけがない。でもこの一票が私を"選挙に参加する一般的で常識的な人間"に変える機会をくれるなら、今度こそは立ち向かうべきだと思う。踏み出すべきだと思う。普通人間への第一歩を。

色々書いても全部無意味だけど。書いたことは全部本当。変だな。

ノーメイク・ノーパンツ


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メイクして服を着るのが果たして嘘の人生なのかな?それはさておきところ構わず服を脱ぎ肌に風を感じるのは楽しいことだと思う。本当の風も本当の水もこの肌を通してしか知ることができないから私たち人間はなんとかして飛んだり潜ったりするんです。地球現象には伝聞のみでは理解できぬ愛おしさがあるのです。

文フリにまつわるエトセトラ


f:id:nikolog:20170925235038j:imageサークル てふ「ら」


f:id:nikolog:20170925235049j:image左/平川マオ「おいでよ!ボリウッド」右/かたち「私よ、こんにちは」


f:id:nikolog:20170925235141j:imageサークル アイスコーヒー 歌集「赤い犬」「青い犬」

 

0918月祝 大阪文学フリマにてゲットした本を撮り集めたらオシャレっぽくなった。文学は、ファッションと密接な関係を築いている?それは存ぜぬ。今はかたちさんの本を読み進めてる最中。進捗15ページ。(全98ページ、道程は遠い。)

ただ私は女。今は男の身体で暮らしているけれど四、五時間前までは延々なるかわいこちゃんでありました。紳士性など育む必要なく天真爛漫に暮らしていました。そう云うわけです。時間を経て紳士になるわけです。今の私は想像の紳士に過ぎません。(「私よ、こんにちは」P11)

今夜のお気に入りはここ。今後も続々見つかってゆくことでしょう。本を読む意義のたいていはここにあります。男と女が自意識交換なんて使い古されたネタをまたなぜなどやはり愚問だったのだと自分の中の自分に教えてあげます。進捗10%ですでに右ストレート頬に受けた気分。読み終える頃には真っ白に燃え尽きているかも。沙奈は中学生ながらも自分の性を理解しその特権を利用して生きてきた。そして、その自覚がある。身体はともかく普通より早熟で達観した女の子なのだ彼女は。自己理解のある女の子。現実世界にはどの層にもあまり見ない。身の丈を知る女の子だ。だからこそ新しい状況も簡単に受け入れる。理解する。これまでの特権はすべて無効化される。そのことに彼女は動じない。理解しているから。

 

かたちさんの文には句読点があまりない。音読すると声が絶え絶えになる。でもそのスピード感がいいのかな、私はなんだか夜のサイクリングへ出かけたときのような、広々とした気分に。文が繋がっているということは、ここからここまで空間が同じですということ。文が点で止まらないということは、空間は広く大きいのだ。きっとかたちさんの世界は広く大きいのだと思う。今日は、ここまで。