009-009

エスゾピクロンの散歩

再会

「前髪は人間のフロントや。キチッとせなアカン。」とは18年前のパパの言葉であるし、常識とは?の問に「教養」と答えてくれたのは1年前の恋人だ。美術の時間に自画像の、眼の部分だけを手伝ったらそこだけが妙にリアルで「画素数の違い」と笑わせてくれたのは10年前の友人だったのに、覚えているのは私だけで、当の本人らはすっかり忘れてしまっているらしい。

みんな今を生きていて、私だけが置き去りなのだろうか的ポエマーになるつもりは微塵もない。ないが、こうも忘れ去られて、他に証人も居なければ、まるでそんな事実は無かったことのようだ。夢のようだ。あれは私の妄想だったのだろうか。

ちなみに(ちなまないが)女にモテたいが為にインターネットに恋のポエムをポストする殿方のことを"おちんポエマー"と呼ぶらしいよ。ツイッターの女の子が言ってた。どんどん自称してくれよな。

 

また更新するのかよ。009です\(^o^)/

 

\(^o^)/←この顔文字は恋人に大変不評(気持ち悪い、趣味が古いなどと、たいそうおディスりになられた)だけれど、実害は無いしまだ使えそうなので私はこれからもガン無視で頑なに使っていく方針。最近の人ったら贅沢だよね。すぐ新しいものに飛び付いて、まだ使えるものを捨ててしまうんだから。それとこれとは全然関係の無い話をあたかもそれっぽい話にすり替えるのがヘタクソ大臣こと私だよ。

 

関係の無い話のついでに言うと高校入学と同時に惚れた男の子は三年間同じバッグ、同じケータイ、同じ筆箱を持ち歩いていたんだよね。私は結局全然関係の無い男とくっついたり離れたりして惨劇を繰り広げていたのだけど、あの時あの子の彼女になっていれば、あんな風に私も、いつまでもいつまでも大切にしてもらえたのかなあなんて時々思い返すというわけです。単にお金が無くて買い換えられなかっただけかもしれません。思い出は自由で素晴らしい。

 

幽霊は信じる人にだけ見えるよ。空をじっと見つめていると、魂に羽根が生えて飛んで行ける。思い出の中を吹く風は、誰にも止められない。

10年前にまた会おう。

理由を求めること

睡眠薬なしでは眠れなくなった。それに、下剤なしではろくに排泄もできない。こうなる前はそれが異常なことだと思っていたけれど、なってみれば思ったより深刻なことではなくて、なんなら「薬さえあれば全部解決するんだからまだ大丈夫」って、えらく楽観的だ。こんな調子でこれからもあちこちが壊れて、いつの間にかサプリなしでは生きられない身体になってしまうのだろうな。でも、だからなんなんだって思うよ。009です\(^o^)/

生まれたら、あとは死ぬだけだね。

 

 私の狭い知見では、物事には必ず始まりと終わりがあるということになっている。原因なくして結果なし、終わりよければすべて良し。(言いたかっただけよ。)

 

興味のある人に好きだと言われれば、空気を読んで「私も」などと調子を合わせておけば良いのに、私はどうしても「なんで?」と聞いてしまう。興味があればあるほど聞いてしまう。先日恋人に「情緒が無い」と指摘されたばかりだ。何か嫌いだという話を聞くとまた「なんで?」と聞いてしまう。もう分かっただろうけど、私はとにかくどんなことにも理由を追求してしまうタチだ。例えばここで「感情に理由は無い」「なんとなく」なんて答えが出ようものなら興醒めだ。私こそが"勝手に期待・勝手に失望マン"だ。

 

好き嫌いに限らず、こちらのふとした疑問に対し「なんでいきなりそんなこと(笑)」「わかんない(笑)」と答える人は意外と多く、こういう人たちは、単純で目に見えて分かることとしか向き合えない。(でもその一面を見せてもらえるほどの仲ではないにも関わらず私が踏み込み過ぎている可能性もかなりある。)

しかしながら問に対して即答できる人・その場で分からなくても考えて、歪ながらも何か言葉に表してくれる人はやはり一線を画している。

 

問に向き合えること=自分と向き合えること

答えを言語化できること=自分を表現できること

 

と考えている。何でもかんでもノーリーズンやらアイドンノウで片付けることは、思考放棄なんじゃないの。「私は自分のこと考えたくありませーん」「自分のこと何も知りませーん」と主張しているのと同じだ。自分を語れない人に、少なくとも惹かれることは無い。何の話も知らないわかんないなんとなくじゃつまんない。だもんで今日も今日とて理由を求め続けるよ。

 

改めまして009です\(^o^)/

天空目線でペチャクチャピーと書いてるけど実はこれ、自分への戒めでもある。金銭的、精神的に少し余裕ができ、暇な時間ができた今でこそ、食う寝る以外のことにも目を向けられるようになったけれど、これより前はひどかった。生活を営むことに手一杯で、他人または自身の疑問に向き合う余裕もなかった。ノーリーズンアイドンノウコンテスト優勝候補者だった。

だからこそ分かる、余裕の無い奴はつまらない。つまるつまらないの話ではないことは分かっている(むしろつまっているだろう)が、私の中ではやはりつまらないのだ。

 

すべての物事は多面体だ。一つのことにとらわれて、一つの面しか見られなくなったら、それは3次元→2次元くらいのグレードダウンだ。奥行きロス。失われた奥行き。いや2次元の方が趣深い場合があったとしても…。

忙殺されてはならない。…されたい人はされてください、そこは個人の自由ですし。(ところで忙殺って漢字ヤバくない?心を亡くして更に殺されてるんだけど、どういうこと?ハ?)

すべての感情に理由を見つけてください。自分のことを知ってください。わからないなんとなくで済ませないでください。自分から逃げないでください。内側に引きこもっている自分を発見してくれるのは白馬に乗った王子様ではない。誰でもない自分です。

 

ってちょっと説教めいてるね。数年後も同じことが言えたら良いなあ。暇を持て余すってサイコー。

 

日記を書くこと

高校卒業と同時に手に入れた携帯電話はまだガラケーと呼ばれる旧型のもので、白くて薄い、折りたたみ型のケータイだった。

 

高校の入学祝いにと買ってもらった分厚くて赤いケータイは、数ヶ月も経たないうちに勉強に身が入っていないだの親の気に食わない彼氏となかなか別れようとしないだのコソコソするなだのそういうしょうもない理由で何度も取り上げられ、挙句の果てに無断で弟に貸し出されたあと、水没で二度と画面が点灯することのない状態で私の手元に戻った。(弟はべつに悪くない。ただの事故。)

中学時代からずっとずっと憧れていた"ケータイ"。一人部屋を与えられても四六時中監視され、抜き打ちで持ち物を検査され、家のルールも厳しかった私の家庭の中で、ケータイだけは唯一の、私だけの秘密の箱だった。ケータイだけが私の部屋だった。それが思春期の私には与えられなかった。それだけと言えばそれだけの話ではあるが、その時代にケータイを持てないことの乗り遅れ感と言うか疎外感、孤独感は、高校時代を経験しただいたいの人には想像が易いはずだ。

仕方なくブログの更新もメールのやりとりも、親の見える場所で、決められた時間内に共有のパソコンから済ませなければならず(それ以外の時間帯はネットの接続をさせてもらえなかった)閲覧履歴もメールの履歴も見られたい放題。プライバシーって炒めて食べると美味しいのですか?というレベル。

当時付き合っていた男の子との共同ホームページのURLを書き留めた紙の切れ端をママの机の引き出しから発見したときには絶望したものだった。もはや私にプライバシーなんてものは存在しないと知ったのだ。見られても問題無さそうな、当たり障りのない内容のメール、綺麗事ばかりを綴ったブログ。それからの私は、高校卒業に至るまで、液晶の中でさえも偽り通した。ザンネンッ。

 

話は戻るが高校卒業と同時に手に入れた携帯電話はまだガラケーと呼ばれる旧型のもので、白くて薄い、折りたたみ型のケータイだった。

 

 社会人になった記念にと、どういう風の吹き回しか親がまた買い与えてくれたのだ。もうトラブルメーカーの男はいないし勉強で成果を残す必要もない。お金は自分で稼いでいくし、取り上げられる理由が無かった。18歳の春。周りのみんなより少し早い社会人デビューと共に、私は初めて"自分の部屋"を手に入れたのだった。

まあしかし元々上手くいかない私と両親の間柄、予想通りすぐに家を追い出され、皮肉にも20歳の夏、私の自由はより確固たるものとなった。

 

長い前置きは平常運転、長い前髪は過去に置き去り。009です\(^o^)/

西の黒服ナルシストと名乗ったのは遠い昔の話で、今や見る影もなくそこそこ明るい色の服を着て、十分な栄養を摂取し身体はやや丸くなり、職場を転々としながらもそれなりに、あの頃描いた理想の世界を生きている。

 

数年前、知る人ぞ知る…っていうか知らない人は居ないのではないか、mixiという名のSNS黒歴史(黒ガールだけに)を構築した私だが、実はそのアカウントにおいてファッション自撮りよりも注力してきたのはズバリ"日記"の更新である。

社会に出て、家を追い出され、精神を病み、誰への相談もなしにポッと退職するくらいの、ちょうど2年間ほどの出来事が綴られている。

学も文才もこれといった趣味もなく、よくぞあれほどグダグダこじらせた堂々巡りの思考を日々公の場に晒し続けられたものである。我ながらたまげたよ。恋愛のこと、仕事のこと、生活のこと。くっだらない。

などと書いている今も、実は同じことの繰り返し。まるで進化が見られない。でも気にしない。人生はループする。

 

さて私がブログという形を採り"日記"を再開しようと考えたのには理由がある。単にもうすぐ死んでしまいそうな気がするからだ。そんなこと言ってちゃっかり1世紀生きちゃうかもしれないけれど、もう一度液晶の中に自分の生きた印を残しておかなければならない気がした。生まれ変わって、いつかまたここに辿り着いて、もう覚えていなかったとしても、もう一度私に私の存在を知ってほしい。

何を言っているんだかさっぱり分からない人も居るだろう、だって私もよく分かっていないし。始めるのだ。とにかく綴るのだ。それだけのことである。あらせられるのであります。

 

ときに、そのmixiブイブイ言わせていた頃の私はちょうど病みの全盛期だった。色々なことがイッパイアッテナ。単刀直入に言えばうつ病だ。今の言葉で言えばメンヘラ。

メンヘラというのはどうしてか、多面体であるはずの自分の性格の、最も暗い一面にスポットライトを当てる傾向がある。精神を病んでいること、暗く落ち込んでいる状態に自我を見出す。それが本当の自分だと思い込み始める。

これらは偏見ではなく私の経験だ。

 

そんなわけで私は約二年間にわたり、鬱々とした内容の日記を書き殴り続けた。よくネタが尽きないねえなんて言われたりもしたが、当然だ。当然のように次から次へとフラッシュバックや被害妄想の波が押し寄せる。そのはけ口がmixiだった。

 

ところがどうだ、精神病の元凶となる会社を辞めた途端に、日記に書きたいことが何一つ思い浮かばなくなってしまったのだ。

当時は気づかなかったのだが、既にうつ病ではなくなっていたのだ。これまで自分の核の部分だと思い込んでいた暗い面が、退社を境に光を反射しなくなってしまったのだ。この時、アイデンティティ喪失の疑似体験をした。

自分を失ったという思い込みでアウトプットがままならなくなった。空っぽになったような気さえもした。まるでそういう宗教であるかのように毎日着ていた黒い服への執着心も失った。普通の状態に戻っただけのことである。

 

ほどなくして平和な環境に慣れ、一時は唯一の心の拠り所としていたmixi日記も、心が豊かになり現実世界に楽しみを見つけられるようになった私には、もはや不要となった。

 

こうして完全に、自由の部屋より外の世界へ飛び立ったのだった。

 

そして今、"人格の多面体"の最も暗い一面以外にも向き合い、遅咲きながらも自分を理解し新たなアイデンティティを獲得した私は、再び日記を綴るに至ったというわけだ。

 

ちなみにこの日記を書くのに3度の夜を要した。いかんせん集中力が持続しないタイプのポケモンなのだ。

今後はもっとライトな内容と文量でお送りしたい。

 

高校卒業と同時に手に入れた携帯電話はまだガラケーと呼ばれる旧型のもので、白くて薄い、折りたたみ型のケータイだった。だけどそれも失った。この手の中にあるのは最新型のスマートフォンだ。時代は、変わったのだ。

 

このダラダラグダグダコンテスト優勝レベルの記事をここまで読んでくれた暇な君、ありがとう。

私はこれからも、ぼちぼちと生きるよ。